・・・とは人間の意志そのものの形式に終始せざるを得ず「いかに」のみに答えて、「何を」に答えることができない。「何々せよ」「何々するなかれ」と命ずることができずに、「いかようにせよ」「いかようにす」など命じ得るのみである。たとえばキリストの山上の垂・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・ごろ喫み覚えた煙草の煙に紛らかしにっこりと受けたまま返辞なければ往復端書も駄目のことと同伴の男はもどかしがりさてこの土地の奇麗のと言えば、あるある島田には間があれど小春は尤物介添えは大吉婆呼びにやれと命ずるをまだ来ぬ先から俊雄は卒業証書授与・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・ 権威を以て命ずる。死ぬるばかり苦しき時には、汝の母に語れ。十たび語れ。千たび語れ。 千たび語りても、なお、母は巌の如く不動ならば、――ばかばかしい、そんなことないよ、何をそんなに気張っているのだ、親子は仲良くしなくちゃいけ・・・ 太宰治 「思案の敗北」
・・・たとえば、宵の私の訪問をもてなすのに、ただちに奥さんにビールを命ずるお医者自身は善玉であり、今宵はビールでなくブリッジいたしましょう、と笑いながら提議する奥さんこそは悪玉である、というお医者の例証には、私も素直に賛成した。奥さんは、小がらの・・・ 太宰治 「満願」
・・・そしてただ本能の命ずるがままに、全く自分の満足のためにのみ、この養児をはぐくんでいたに相違ない。しかしわれわれ人間の目で見てはどうしてもそうは思いかねた。熱い愛情にむせんででもいるような声でクルークルーと鳴きながら子猫をなめているのを見てい・・・ 寺田寅彦 「子猫」
・・・自分の科学と芸術とは見たままに描けと命ずる一方で、なんだか絵として見た時に不自然ではないかという気もするし、年取った母がいやがるだろうと思ったので、とうとう右衽にごまかしてしまったが、それでもやっぱり不愉快であった。 この自画像No.3・・・ 寺田寅彦 「自画像」
・・・去年の夏の終わりから秋へかけて、小さなあわれな母親たちが種属保存の本能の命ずるがままに、そこらに産みつけてあった微細な卵の内部では、われわれの夢にも知らない間に世界でいちばん不思議な奇蹟が行なわれていたのである。その証拠には今試みに芝生に足・・・ 寺田寅彦 「芝刈り」
・・・耳の遠い髪の臭い薄ぼんやりした女ボオイに、義理一遍のビイルや紅茶を命ずる面倒もなく、一円札に対する剰銭を五分もかかって持て来るのに気をいら立てる必要もなく、這入りたい時に勝手に這入って、出たい時には勝手に出られる。自分は山の手の書斎の沈静し・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・花時上佳 〔花時 上佳し雖レ佳慵レ命レ駕 佳しと雖も駕を命ずるに慵し都人何雑沓 都人何ぞ雑沓して来往無二昼夜一 来往すること昼夜を無するや或連レ袂歌呼 或は袂を連ねて歌呼し或謔浪笑罵 ・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・何しろ人間一生のうちで数えるほどしかない僅少の場合に道義の情火がパッと燃焼した刹那を捉えて、その熱烈純厚の気象を前後に長く引き延ばして、二六時中すべてあのごとくせよと命ずるのは事実上有り得べからざる事を無理に注文するのだから、冷静な科学的観・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
出典:青空文庫