・・・家に遺伝の遺産ある者、又高運にして新に家を成したる者、政府の官吏、会社の役人、学者も医者も寺の和尚も、衣食既に足りて其以上に何等の所望と尋ぬれば、至急の急は則ち性慾を恣にするの一事にして、其方法に陰あり陽あり、幽微なるあり顕明なるあり、所謂・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・其内に附添の一人は近辺の貧乏寺へ行て和尚を連れて来る。やっと棺桶を埋めたが墓印もないので手頃の石を一つ据えてしまうと、和尚は暫しの間廻(向して呉れた。其辺には野生の小さい草花が沢山咲いていて、向うの方には曼珠沙華も真赤になっているのが見える・・・ 正岡子規 「死後」
・・・子供らは、何にも知らず眠るのだが、起きると、大人たちが、昨夜も貝がらを踏む跫音がした、そこの板じきに足跡がついていると、物々しいことになった。和尚さんが、いくら呼んでも起きてくれなかったと、若い母が憤慨していることもあった。 十日ほど、・・・ 宮本百合子 「白藤」
・・・にこすり合わせた、見て居て、自分もくすぐったくなる程〔欄外に〕 よく見るとうるしの刷目のようなむらさえ頭や翅にあり、一寸緑色がぼやけて居るあたりの配色の美、 田舎の寺の和尚・宗匠 何でも云いたいことを・・・ 宮本百合子 「一九二七年八月より」
・・・ 三沢の話 何とかコーセン和尚あり、有名 或僧、出かけて「久しくコーセン和尚の高名をきく、麦コーセンか、米コーセンか」「味って見ろ」「喝!」「むせたか、むせたか」 雪のあくる日 三・・・ 宮本百合子 「一九二七年春より」
・・・京都妙心寺出身の大淵和尚の弟子になって宗玄といっている。三男松之助は細川家に旧縁のある長岡氏に養われている。四男勝千代は家臣南条大膳の養子になっている。女子は二人ある。長女藤姫は松平周防守忠弘の奥方になっている。二女竹姫はのちに有吉頼母英長・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・御生前において同寺清巌和尚に御約束有之候趣に候。 さて今年御用相片づき候えば、御当代に宿望言上いたし候に、已みがたき某が志を御聞届け遊ばされ候勤めているうちに、寛延三年に旨に忤って知行宅地を没収せられた。その子宇平太は始め越中守重賢の給・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・このようなところにも世の乱れとてぜひもなく、このころ軍があッたと見え、そこここには腐れた、見るも情ない死骸が数多く散ッているが、戦国の常習、それを葬ッてやる和尚もなく、ただところどころにばかり、退陣の時にでも積まれたかと見える死骸の塚が出来・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・「さアお前らぼんやりしてんと、どうするのや?」とお霜は云った。「和尚さん呼んで来うまいか。」とお留は云った。「それよか何より棺桶や。棺桶どうする?」と秋三は云い出した。「うちのお父つぁんの死んだときは棺桶やったが、あれでもお・・・ 横光利一 「南北」
・・・禅においては、一休和尚がこの時にまだ生きていた。心敬はこの人を、行儀、心地ともに独得の人としてほめている。よほど個性の顕著な人であったのであろう。そうしてこの禅の体得ということも、日本文化の一つの特徴として、今でも世界に向かって披露せられて・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫