・・・ 糸につれて唄い出す声は、岩間に咽ぶ水を抑えて、巧みに流す生田の一節、客はまたさらに心を動かしてか、煙草をよそに思わずそなたを見上げぬ。障子は隔ての関を据えて、松は心なく光琳風の影を宿せり。客はそのまま目を転じて、下の谷間を打ち見やりし・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・しかしてわれ今再びこの河畔に立ってその泉流の咽ぶを聴き、その危厳のそびゆるを仰ぎ、その蒼天の地に垂れて静かなるを観るなり。日は来たりぬ、われ再びこの暗く繁れる無花果の樹陰に座して、かの田園を望み、かの果樹園を望むの日は再び来たりぬ。 わ・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・その顔の色、その目の光はちょうど悲しげな琵琶の音にふさわしく、あの咽ぶような糸の音につれて謡う声が沈んで濁って淀んでいた。巷の人は一人もこの僧を顧みない、家々の者はたれもこの琵琶に耳を傾けるふうも見せない。朝日は輝く浮世はせわしい。『し・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・絃の音は、前よりも高くふるえて、やがて咽ぶように落ち入る。 ヴァイオリンの音の、起伏するのを受けて、山彦の答えるように、かすかな、セロのような音が響いて来る。それが消えて行くのを、追い縋りでもするように、またヴァイオリンの高音が響いて来・・・ 寺田寅彦 「秋の歌」
・・・まだ六ツか七ツの時分、芝の増上寺から移ってこの伝通院の住職になった老僧が、紫の紐をつけた長柄の駕籠に乗り、随喜の涙に咽ぶ群集の善男善女と幾多の僧侶の行列に送られて、あの門の下を潜って行った目覚しい光景に接した事があった。今や Dmocrat・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・ 吉里の涙に咽ぶ声がやや途切れたところで、西宮はさぴたを拭っていた手を止めて口を開いた。「私しゃ気の毒でたまらない。実に察しる。これで、平田も心残りなく古郷へ帰れる。私も心配した甲斐があるというものだ。実にありがたかッた」 吉里・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ 溢れ噎ぶ思いで、雄鳩は雌に挨拶した。雌は彼のする通り、熱した目で凝っと彼を見た。美しく頸をふくらませて喉を鳴らした。嘴と嘴とがさわるのに、愛らしい妻は何故来ないのだろう。此方へ何故来ないのであろう。疑問で雄鳩の心は狂いそうになった。彼・・・ 宮本百合子 「白い翼」
・・・ ヴォルガの村々へ、林檎の花とともに咽ぶような春の季節がやって来た。月の夜、軽い風に蝶のような花は揺れ、微かに音をたて、そして村全体が金を帯びた碧色の重々しい波に揺れているように見える。休みの日の夕暮、娘達や若い女達は雛鳥のように口を開・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
出典:青空文庫