・・・この山陰の藪の空には、小鳥一羽囀りに来ない。ただ杉や竹の杪に、寂しい日影が漂っている。日影が、――それも次第に薄れて来る。――もう杉や竹も見えない。おれはそこに倒れたまま、深い静かさに包まれている。 その時誰か忍び足に、おれの側へ来たも・・・ 芥川竜之介 「藪の中」
・・・三味線を弾いて聞かせると、音に競って軒で高囀りする。寂しい日に客が来て話をし出すと障子の外で負けまじと鳴きしきる。可愛いもので。……可愛いにつけて、断じて籠には置くまい。秋雨のしょぼしょぼと降るさみしい日、無事なようにと願い申して、岩殿寺の・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・雀の群が灌木の間をにぎやかに囀り、嬉々としてとびまわった。 鉄橋を渡って行く軍用列車の轟きまでが、のびのびとしてきたようだ。 積っていた雪は解け、雨垂れが、絶えず、快い音をたてて樋を流れる。 吉永の中隊は、イイシに分遣されていた・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・母屋の縁先で何匹かのカナリヤがやっきに囀り合っている。庭いっぱいの黄色い日向は彼らが吐きだしているのかと思われる。「ちょっといらっしてごらんなさいな。小さな鮒かしらたくさんいますわ」と、藤さんは眩しそうにこちらを見る。「だって下駄が・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・小川の囁き、村の人達の声、船頭の歌や木々のさわめき、小鳥の囀り等は皆混り合い、彼女の心のときめきと一つのものになりました。其等の音は、スバーの落付かない魂に打ちよせる、一つの広い響の波となります。此自然の囁き動きこそ、唖の娘の言葉でした。長・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・父が書斎の丸窓外に、八手の葉は墨より黒く、玉の様な其の花は蒼白く輝き、南天の実のまだ青い手水鉢のほとりに藪鶯の笹啼が絶間なく聞えて屋根、軒、窓、庇、庭一面に雀の囀りはかしましい程である。 私は初冬の庭をば、悲しいとも、淋しいとも思わなか・・・ 永井荷風 「狐」
午後から日がさし、積った白雪と、常磐木、鮮やかな南天の紅い実が美くしく見える。 机に向っていると、隣の部屋から、チクチク、チチと小鳥の囀りが聞えて来る。二三日雪空が続き、真南をねじれて建った家には、余り充分日光が射さな・・・ 宮本百合子 「小鳥」
・・・其の古い楓が緑を投げる街路樹の下を、私共は透き通る軽羅に包まれて、小鳥のように囀りながら歩み去る女を見る事が出来ます。しなしなと微風に撓む帽子飾の陰から房毛をのぞかせて、笑いながら扇を上げる女性の媚態も見られます。 けれども此村は只其丈・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・林の奥では彼の時の様に小鳥が囀り日は同じ様に黄金色に光って居る。 筑波山の天狗は何時まで生きて居るだろう。 私と叔父が一緒に出たのは之が最後であった。 大変に悪くなったのは、十一月の二十五日の晩であったと覚えて居る。 大・・・ 宮本百合子 「追憶」
・・・ コーコー、コーコー笑いさざめきながら水共が、或るときは岸に溢れ出し、或るときは途方もないところまで馳けこんで大賑やかな河原には小石の隙間から一面に青草が萌え、無邪気な雲雀の雛の囀りが、かご茨や河柳の叢から快く響いて来る。 桑の芽は・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
出典:青空文庫