・・・雑鬧を押しわけてやってきた――その姿はよれよれの国民服で、風呂敷包を持っていました。「午後五時五十三分、天王寺西門の鳥居の真西に太陽が沈まんとする瞬間」と新聞はあとで書きましたが、十分過ぎでした。立ち話もそんな場所ではできず、前から部屋を頼・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・この比喩を教えて国民の心の寛からんことを祈りし聖者おわしける。されどその民の土やせて石多く風勁く水少なかりしかば、聖者がまきしこの言葉も生育に由なく、花も咲かず実も結び得で枯れうせたり。しかしてその国は荒野と変わりつ。 ・・・ 国木田独歩 「詩想」
・・・ すなわち学校、孤児院の経営、雑誌の発行、あるいは社会運動、国民運動への献身、文学的精進、宗教的奉仕等をともにするのである。二つ夫婦そらうてひのきしんこれがだいいちものだねや これは天理教祖みき子の数え歌だ。子を・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・第三期に這入って帝国主義戦争が間近かに切迫して来るに従って、ブルジョアジーは入営する兵士たちに対してばかりでなく、全国民を、青年訓練所や、国家総動員計画や、その他あらゆる手段をつくして軍国主義化しようと狂奔している。そして、それはまた、労働・・・ 黒島伝治 「入営する青年たちは何をなすべきか」
・・・当時巌本善治氏の主宰していた女学雑誌は、婦人雑誌ではあったが、然し文学宗教其他種々の方面に渉って、徳富蘇峰氏の国民の友と相対した、一つの大きな勢力であった。北村君を先ず文壇に紹介したのは、この巌本善治氏であった。『厭世詩家と女性』その他のも・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・黙って、まごついて、それ故に、非国民などと言われては、これ以上に残念の事は無い。たまったものでない。私は、私の流儀で、この機会に貧者一燈を、更にはっきり、ともして置きます。 八年前の話である。神田の宿の薄暗い一室で、私は兄に、ひどく叱ら・・・ 太宰治 「一燈」
・・・遼陽の攻略の結果を、死の床に横たわって考えている小さなあわれな日本国民の心は、やがてこの世界的光栄をもたらしえた日本国民すべての心ではないか。 それに、舞台が私の故郷に近いので、いっそうその若い心が私の心に滲みとおって感じられるように思・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・これだけの著しい現象の直接間接の効果が日本国民全体の心理と仕事上になんらかの形で現われて来ない訳にはいかないに相違ない。その結果の善悪にかかわらず実に恐るべきことだと思われるのであった。 新宿辺で灯がつき始めたが、駒込へ帰るまで空は明る・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・に公開の裁判でもすることか、風紀を名として何もかも暗中にやってのけて――諸君、議会における花井弁護士の言を記臆せよ、大逆事件の審判中当路の大臣は一人もただの一度も傍聴に来なかったのである――死の判決で国民を嚇して、十二名の恩赦でちょっと機嫌・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・この事を進めていえば、これまで種々なる方面の人から論じ出された日本の家屋と国民性の問題を繰返すに過ぎまい。 われわれの生活は遠からず西洋のように、殊に亜米利加の都会のように変化するものたる事は誰が眼にも直ちに想像される事である。然らばこ・・・ 永井荷風 「銀座」
出典:青空文庫