・・・A 日本の国語が統一される時さ。B もう大分統一されかかっているぜ。小説はみんな時代語になった。小学校の教科書と詩も半分はなって来た。新聞にだって三分の一は時代語で書いてある。先を越してローマ字を使う人さえある。A それだけ混乱・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・それは日本の国語がまだ語格までも変るほどには変遷していないということを指摘したにすぎなかった。 人の素養と趣味とは人によって違う。ある内容を表出せんとするにあたって、文語によると口語によるとは詩人の自由である。詩人はただ自己の最も便利と・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・「僕、算術が二題出来なんだ。国語は満点じゃ。」醤油屋の坊っちゃんは、あどけない声で奥さんにこんなことを云いながら、村へ通じている県道を一番先に歩いた。それにつづいて、下車客はそれぞれ自分の家へ帰りかけた。「谷元は、皆な出来た云いよっ・・・ 黒島伝治 「電報」
・・・日本語にちがいはないのだけれども、それでも、国語ではない。一語一語のアイデアが、いつの間にか、すりかえられて居るのである。残念である、というなんでもない一言でさえ、すでに異国語のひびきを伝えて居るのだ。ひとつのフレエズに於いてさえ、すでにこ・・・ 太宰治 「古典竜頭蛇尾」
・・・たちが、国語の乱脈をなげいているらしい。キザである。いい気なものだ。国語の乱脈は、国の乱脈から始まっているのに目をふさいでいる。あの人たちは、大戦中でも、私たちの、何の頼りにもならなかった。私は、あの時、あの人たちの正体を見た、と思った。・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・実朝を知ること最も深かった真淵、国語をまもる意味にて、この句を、とらず。いまになりては、いずれも佳きことをしたと思うだけで、格別、真淵をうらまない。慈眼「慈眼。」というのは亡兄の遺作に亡兄みずから附したる名前であって、その青・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・すべてが論理的に明瞭なものであるにかかわらず、使っている「国語」が世人に親しくないために、その国語に熟しない人には容易に食い付けない。それで彼の仕事を正当に理解し、彼のえらさを如実に估価するには、一通りの数学的素養のある人でもちょっと骨が折・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・ それよりも困ったことには国語の相違ということが有声映画の国際的普遍性を妨げる。無声映画を「聞」いていた観客は、有声になったために聾になってしまった。 この困難を避けるにはできるだけ言語を節約するという方針が生まれる、そうして字幕と・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・ 科学の方則や事実の表現はこれを言い表わす国語や方程式の形のいかんを問わぬ。しかし芸術は事物その物よりはこれを表現する方法にあるとも言わば言われぬ事はあるまい。しかしこれもそう簡単ではない。なるほど科学の方則を日本語で訳しても英語で・・・ 寺田寅彦 「科学者と芸術家」
・・・ 言葉としての科学が文学とちがう一つの重要な差別は、普通日常の国語とはちがった、精密科学の国に特有の国語を使うことである。その国語はすなわち「数学」の言葉である。 数学の世界のいろいろな「概念」はすべて一種の言葉である。ただ日常の言・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
出典:青空文庫