・・・説明するまでもなく金春の煉瓦造りは、土蔵のように壁塗りになっていて、赤い煉瓦の生地を露出させてはいない。家の軒はいずれも長く突き出で円い柱に支えられている。今日ではこのアアチの下をば無用の空地にして置くだけの余裕がなくって、戸々勝手にこれを・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・左手はとびとびに人家のつづいている中に、不動院という門構の寺や、医者の家、土蔵づくりの雑貨店なども交っているが、その間の路地を覗くと、見るも哀れな裏長屋が、向きも方角もなく入り乱れてぼろぼろの亜鉛屋根を並べている。普請中の貸家も見える。道の・・・ 永井荷風 「元八まん」
・・・それは家とか土蔵とかを引きずって行くという商売なんだから私は驚いたのであります。この公会堂をこのまま他の場所へ持って行くという商売です。いくら東京に市区改正が激しく行われたって、そう毎年建てたばかりの家の位置を動かさなければならぬというよう・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・例えば隣家は頻りに繁昌して財産も豊なるに、我家は貧乏の上に不仕合のみ打続く、羨ましきことなり憎らしきことなり、隣翁が何々の方角に土蔵を建てゝ鬼瓦を上げたるは我家を睨み倒さんとするの意なり、彼の土蔵が火事に焼けたらば面白からん、否な人の見ぬ間・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・Y・Sの家ですが、昔の土蔵づくりの武者窓つきの全く大名門です。その門の翼がパァラーで主人Sの話し声がし、右手ではK女史のア、ア、ア、ア、という発声練習が響いているという工合。家全体は異様に大時代で、目を瞠らせる。そして道を距てた前に民芸館と・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・○すっかり黄色い七分どおり落ちた梧桐、○銀杏の葉のふきだまりが土蔵の横に出来ている。○便所にいる。 ギャーギャーとまるで お上でものをいうのとはちがった声色で ふざけ笑っている女のこえ。 午後・・・ 宮本百合子 「情景(秋)」
・・・ 風呂場のわきにかなり大きい池があって、その水の面は青みどろで覆われ、土蔵に錦絵があったり、茶の間にはお灸の匂いが微かにのこっているという風な向島の家は、陰気でいつもいろいろのごたごたがあった。 向島のおばあさんと母とが、林町のうち・・・ 宮本百合子 「白藤」
・・・ かえって見ると、おばあさん二人は竹やぶににげ、英男が土蔵にものを運び込んで、目ぬりまでし、曲って大扉のしまらないのに困って居た。 井戸に、瀬戸ものをつるしまでし。なかなか十五六の男の子としては大出来の功績をあげた。 二日 ・・・ 宮本百合子 「大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録」
・・・己は毎日毎日土蔵の脇で日なたぼっこをしていた。頭の上の処には、大根が注連縄のように干してあるのだな。百姓の内でも段々厭きて来やがって、もう江戸の坊様を大事にしなくなった。鳩南蛮なんぞは食わしゃあしねえ。」「ある日の事、かますというものに・・・ 森鴎外 「里芋の芽と不動の目」
・・・ 家は五十一のとき隼町に移り、翌年火災に遭って、焼け残りの土蔵や建具を売り払って番町に移り、五十九のとき麹町善国寺谷に移った。辺務を談ぜないということを書いて二階に張り出したのは、番町にいたときである。 お佐代さんは四十五のとき・・・ 森鴎外 「安井夫人」
出典:青空文庫