・・・ 日が沈むころになると、毎日のように、海岸をさまよって、青い、青い、そして地平線のいつまでも暗くならずに、明るい海に憧れるものが幾人となくありました。海は、永久にたえず美妙な唄をうたっています。その唄の声にじっと耳をすましていると、いつ・・・ 小川未明 「明るき世界へ」
・・・――手荒く窓を開きぬ。地平線上は灰色の雲重なりて夕闇をこめたり。そよ吹く風に霧雨舞い込みてわが面を払えば何となく秋の心地せらる、ただ萌え出ずる青葉のみは季節を欺き得ず、げに夏の初め、この年の春はこの長雨にて永久に逝きたり。宮本二郎は言うまで・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・僕は折り折り郊外を散歩しますが、この頃の冬の空晴れて、遠く地平線の上に国境をめぐる連山の雪を戴いているのを見ると、直ぐ僕の血は波立ちます。堪らなくなる! 然しです、僕の一念ひとたびかの願に触れると、こんなことは何でもなくなる。もし僕の願さえ・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・これには広い人生の海があり、はかり知れない運命の地平線があるのであって、決して一概に狭く固く考えるべきではない。多くの秀れた人々の伝記を読むのに一生にただ一つの愛しか持たないというような例は稀である。そこには苦痛を忘却さしてくれるいわゆるレ・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・ 夕日が、あかあかと彼方の地平線に落ちようとしていた。牛や馬の群が、背に夕日をあびて、草原をのろのろ歩いていた。十月半ばのことだ。 坂本は、「腹がへったなあ。」と云ってあくびをした。「内地に居りゃ、今頃、野良から鍬をかついで・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・ 殺し合いをしている兵士の群は、後方の地平線上に、次第に小さく、小さくうごめいていた。そして、ついには蟻のようになり、とうとう眼界から消えてしまった。 九 雪の曠野は、大洋のようにはてしがなかった。 山が・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・馬琴に至りますと、杉や檜が天をむいて立つように、地平線とは直角をなして、即ち衆俗を抽んでて挺然として自ら立って居りますので、その著述は実社会と決して没交渉でも無関係でもありませんが、しかし並行はして居りませぬのです。時代の風潮は遊廓で優待さ・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・版の欠損の穴埋めが、どうやら出来て、それからはもう何の仕事をする気力も失ってしまったようで、けれども、一日中うちにいらっしゃるというわけでもなく、何か考え、縁側にのっそり立って、煙草を吸いながら、遠い地平線のほうをいつまでも見ていらして、あ・・・ 太宰治 「おさん」
・・・定木で引いた線のような軌道がずっと遠くまで光って走っていて、その先の地平線のあたりで、一つになって見える。左の方の、黄いろみ掛かった畑を隔てて村が見える。停車場には、その村の名が付いているのである。右の方には沙地に草の生えた原が、眠そうに広・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・赤い大きい日は地平線上に落ちんとして、空は半ば金色半ば暗碧色になっている。金色の鳥の翼のような雲が一片動いていく。高粱の影は影と蔽い重なって、荒涼たる野には秋風が渡った。遼陽方面の砲声も今まで盛んに聞こえていたが、いつか全くとだえてしまった・・・ 田山花袋 「一兵卒」
出典:青空文庫