・・・軒から垂れる雫の音は、日がな一日単調な、侘しい響を伝えて来た。 冬籠りする高瀬は火鉢にかじりつき、お島は炬燵へ行って、そこで凍える子供の手足を暖めさせた。家の外に溶けた雪が復た積り、顕われた土が復た隠れ、日の光も遠く薄く射すように成れば・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・軒に垂れる剣のような氷柱の長さは二尺にも三尺にも及んだ。長い寒い夜なぞは凍み裂ける部屋の柱の音を聞きながら、唯もう穴に隠れる虫のようにちいさくなって居た。 この「冬」が私には先入主になってしまった。私はあの山の上で七度も「冬」を迎えた。・・・ 島崎藤村 「三人の訪問者」
・・・プラタプは少し離れて、釣糸を垂れる。彼は檳榔子を少し持って来ました。スバーが、それを噛めるようにしてやる そうやって長いこと坐り、釣の有様を見ている時、彼女は、どんなにか、プラタプの素晴らしい手伝い、真個の助けとなって、自分が此世に只厄・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・なるほど充分に雨を含んだ外套の裾と、中折帽の庇から用捨なく冷たい点滴が畳の上に垂れる。折目をつまんで抛り出すと、婆さんの膝の傍に白繻子の裏を天井に向けて帽が転がる。灰色のチェスターフィールドを脱いで、一振り振って投げた時はいつもよりよほど重・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・壁の隅からぽたりぽたりと露の珠が垂れる。床の上を見るとその滴りの痕が鮮やかな紅いの紋を不規則に連ねる。十六世紀の血がにじみ出したと思う。壁の奥の方から唸り声さえ聞える。唸り声がだんだんと近くなるとそれが夜を洩るる凄い歌と変化する。ここは地面・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・ 糞、小便は、長さ五寸、幅二寸五分位の穴から、巌丈な花崗岩を透して、おかわに垂れる。 監獄で私達を保護するものは、私達を放り込んだ人間以外にはないんだ。そこの様子はトルコの宮廷以上だ。 私の入ってる間に、一人首を吊って死んだ。・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・ よく実った稲ほど穂を垂れる。然し最もよく実る稲は若い時最も真直に頭を上げていた稲だ。というのは全くだ。それ故はる子は千鶴子のいろんな癖もまあまあと思い、彼女が本気になることをよろこんだ。そのような心掛は、幸千鶴子にも伝わったと見え、彼女は・・・ 宮本百合子 「沈丁花」
・・・自分に不当な苦痛や罵詈を与えた者達は、最後まで正しかった者の死屍に対して、どんな悔恨に撃たれながら、頭を垂れるだろう、白い衣を着せられ、綺麗な花で飾った柩に納められた自分が、最後の愛情によって丁寧に葬られる様子が、まざまざと目前に浮み上って・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・人は其前に頭を垂れる心を持つべきではないだろうか。 先生は可愛いのだから、此那事を云いたく無い、厭だ厭だと思いながら、西日の差す塵っぽい廊下の角で、息をつまらせて口答えを仕たお下髪の自分を思う。――その時分私は自分を詩人だと思っていた―・・・ 宮本百合子 「追慕」
・・・の土に涙を垂れるのでは無い。人間だからである。人だからである。名は約束である。日本と云うのも、支那と云うのも、又は英吉利と云うのも、丁度、数字が、太古からの約束である如く、只一つの約束に過ぎないのではあるまいか、 彼等が、そして私共が、・・・ 宮本百合子 「無題」
出典:青空文庫