・・・も無し、財産もなし、としもとっていることだし、ちゃんとした結婚なぞとても望めないから、いっそ一生めとらず、のんきに暮そうと、やもめぐらしをして居る由にて、それを、亡父の恩人が、なだめ、それでは世間から変人あつかいされて、よくないから、早くお・・・ 太宰治 「皮膚と心」
・・・私はこれまで永い間、変人の誤解を受けて来たのだ。「どうです。新宿の辺まで出てみませんか。」友人は誘った。「冗談じゃない。」私は首を横に振った。「こんな恰好で新宿を歩いて、誰かに見られたら、いよいよ評判が悪くなるばかりだ。」「そん・・・ 太宰治 「服装に就いて」
・・・ ご存じのように、私の家は兄さんとお嫂さんと私と三人暮しで、そうして兄さんは少しお変人の小説家で、もう四十ちかくなるのにちっとも有名でないし、そうしていつも貧乏で、からだ工合が悪いと言って寝たり起きたり、そのくせ口だけは達者で、何だかん・・・ 太宰治 「雪の夜の話」
・・・ 私は変人に非ず 先月号の小説新潮の、文壇「話の泉」の会で、私は変人だと云うことになっているし、なにか縄帯でも締めているように思われている。また私の小説もただ風変わりで珍らしい位に云われてきて、私はひそかに憂鬱な気持・・・ 太宰治 「わが半生を語る」
一 涼しさと暑さ この夏は毎日のように実験室で油の蒸餾の番人をして暮らした。昔の武士の中の変人達が酷暑の時候にドテラを着込んで火鉢を囲んで寒い寒いと云ったという話があるが、暑中に烈火の前に立って油の煮える・・・ 寺田寅彦 「さまよえるユダヤ人の手記より」
・・・自分はいつも無口な変人と思われていたくらいで、宿の者と親しいむだ話をする事もめったになければ、娘にもやさしい言葉をかけたこともなかった。毎日の食事時にはこの娘が駒下駄の音をさせて迎えに来る。土地のなまった言葉で「御飯おあがんなさ・・・ 寺田寅彦 「花物語」
・・・あの人は誰もよく知って居る変人だが、世間はあの人を必要として居る。而もあの人は己を曲ぐることなくして立派にやって行く。それから井上達也という眼科の医者が矢張駿河台に居たが、その人も丁度東洋さんのような変人で、而も世間から必要とせられて居た。・・・ 夏目漱石 「処女作追懐談」
・・・自分の専門にしていることにかけては、不具的に非常に深いかも知れぬが、その代り一般的の事物については、大変に知識が欠乏した妙な変人ばかりできつつあるという意味です。 私は職業上己のためとか人のためとか云う言葉から出立してその先へ進むはずの・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・全体にソワソワと八笑人か七変人のより合いの宅みたよに、一日芝居の仮声をつかうやつもあれば、素人落語もやるというありさまだ。僕は一番上の兄に監督せられていた。 一番上の兄だって道楽者の素質は十分もっていた。僕かね、僕だってうんとあるのさ、・・・ 夏目漱石 「僕の昔」
・・・しかし立派な技術を持ってさえいれば、変人でも頑固でも人が頼むだろうと思いました。佐々木東洋という医者があります。この医者が大へんな変人で、患者をまるで玩具か人形のように扱う、愛嬌のない人です。それではやらないかといえば不思議なほどはやって、・・・ 夏目漱石 「無題」
出典:青空文庫