・・・この紙になんでも、おまえさんがたの欲しいと思うものを書いて、夕焼けのした晩方に海へ流せば、手に入れることができる。」といって、じいさんは三枚の赤い小さな紙きれを出して、三人の娘に渡したのでありました。三人は、それを一枚ずつもらって帰りま・・・ 小川未明 「夕焼け物語」
・・・なお黙ってはいたが、コックリと点頭して是認した彼の眼の中には露が潤んで、折から真赤に夕焼けした空の光りが華はなばなしく明るく落ちて、その薄汚い頬被りの手拭、その下から少し洩れている額のぼうぼう生えの髪さき、垢じみた赭い顔、それらのすべてを無・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・私は何も言えず、ただぼんやり、窓の外を眺めていました。夕焼けに映えて森が真赤に燃えていました。汽車がとまって、そこは仙台駅でした。「失礼します。お嬢ちゃん、さようなら。」 女のひとは、そう言って私のところの窓からさっさと降りてゆきま・・・ 太宰治 「たずねびと」
・・・具は雌黄に藍墨に代赭くらいよりしかなかったが、いつか伯父が東京博覧会の土産に水彩絵具を買って来てくれた時は、嬉しくて幾晩も枕元へ置いて寝て、目が覚めるや否や大急ぎで蓋をあけて、しばしば絵具を検査した。夕焼けの雲の色、霜枯れの野の色を見ては、・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
・・・薄藍のやや低い富士、小さい焔のような夕焼け雲一つ二つ。 A氏のところに寄る。温室にスウィートピーが植込まれたところ。一本一本糸の手が天井から吊ってあり、巻ひげを剪ってある。或は細かい芽生。親切心のたっぷりした者でなくては園芸など出来ずと・・・ 宮本百合子 「金色の秋の暮」
・・・菱の花が白く咲く一番池のぐるりは夏草の高く茂った馬場で、夏そこへ寝ころんで夕焼けを見ていると、いつしか体が夏草の中から泛んで七色八色の鱗雲の間をゆるく飛んで行くような気がした。そんな景色と村道の赭土にくっきり車の軌の跡のめりこんだ荒涼とした・・・ 宮本百合子 「青春」
・・・あの頃と異わず私を受け入れて呉れるのは春の複雑な陰翳を持つ連山と、遠くや近くの森、ゆるやかな起伏を以て地平線迄つづく耕地、渡り鳥が翔ぶ、素晴らしい夕焼け空などである。―― 自然に対して斯う云う憧憬的な気分の時、私は殆ど一種の嫌悪を以・・・ 宮本百合子 「素朴な庭」
出典:青空文庫