・・・ 十、精進の志に乏しからざる事。大作をやる気になったり、読み切りそうもない本を買ったりする如き。 十一、妄に遊蕩せざる事。 十二、視力の好き事。一しょに往来を歩いていると、遠い所の物は代りに見てくれる故、甚便利なり。 十三、・・・ 芥川竜之介 「彼の長所十八」
・・・ 庸才 庸才の作品は大作にもせよ、必ず窓のない部屋に似ている。人生の展望は少しも利かない。 機智 機智とは三段論法を欠いた思想であり、彼等の所謂「思想」とは思想を欠いた三段論法である。 又・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・アレだけの筆力も造詣もありながら割合に大作に乏しいのは畢竟芸術慾が風流心に禍いされたのであろう。椿岳を大ならしめたのも風流心であるが、小ならしめたのもまた風流心であった。 椿岳を応挙とか探幽とかいう巨匠と比較して芸術史上の位置を定めるは・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・が、この大根気、大努力も決して算籌外には置かれないので、単にこの点だけでも『八犬伝』を古往今来の大作として馬琴の雄偉なる大手筆を推讃せざるを得ない。 殊に失明後の労作に到っては尋常芸術的精苦以外にいかなる障碍にも打ち勝ってますます精進し・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・長さももっと大作だ。しかし、世間ではあまりこの作に注意しないのは残念千万だ。『出家とその弟子』は邦枝完二君の監督で林君、村田君等が、有楽座で上演したのが最初の上演だった。村田実君は青山杉作君の親鸞に唯円を勤めて、自分が監督して京都でやっ・・・ 倉田百三 「『出家とその弟子』の追憶」
・・・日本画の部にはいつでも、きまって、いろいろの植物を主題にした大作が多数に出陳される。ところが描かれている植物の種類がたいていきまり切っていて、だれも描かない植物は決してだれも描かない。たとえばからすうりの花の絵などついぞ見た覚えがない。この・・・ 寺田寅彦 「からすうりの花と蛾」
・・・日本画の部にはいつでも、きまって、色々の植物を主題にした大作が多数に出陳される。ところが描かれている植物の種類が大抵きまり切っていて、誰も描かない植物は決して誰も描かない。例えば烏瓜の花の絵などついぞ見た覚えがない。この間の晩、床に這入って・・・ 寺田寅彦 「烏瓜の花と蛾」
・・・時々は世俗のいわゆる大作を見せてくださる事を切望する。 安井會太郎。 「桐の花咲くころ」はこれまでの風景に比べて黄赤色が減じて白と黒とに分化している事に気がつく。これは白日の感じを出しているものと思われる。果物やばらのバックは新しいと思・・・ 寺田寅彦 「昭和二年の二科会と美術院」
・・・は、ケーテ・コルヴィッツの代表的な大作であるばかりでなく、彼女の複雑な資質をそのすみずみまで示している作品として、歴史的な価値をもっている。 ケーテが、ベルリンの自由劇場に上演されたハウプトマンの「織匠」を観たのは一八九三年二月のことで・・・ 宮本百合子 「ケーテ・コルヴィッツの画業」
・・・の形で肯定した。 作家が永い生涯の間で何度発展をとげるか、そしてその時にどの位作品をのこしてゆくか、これは大なる研究に値し、作家必死の事柄です。「四十年」の大作でクリムの性格は発展的に描かれていなかった。発展しない時期の作者はそれを描き・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
出典:青空文庫