・・・勿論もう震災の頃には大勢の子もちになっているのですよ。ええと、――年児に双児を生んだものですから、四人の子もちになっているのですよ。おまけにまた夫はいつのまにか大酒飲みになっているのですよ。それでも豚のように肥った妙子はほんとうに彼女と愛し・・・ 芥川竜之介 「或恋愛小説」
・・・ 刑場のまわりにはずっと前から、大勢の見物が取り巻いている。そのまた見物の向うの空には、墓原の松が五六本、天蓋のように枝を張っている。 一切の準備の終った時、役人の一人は物々しげに、三人の前へ進みよると、天主のおん教を捨てるか捨てぬ・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・今までは海岸の砂の上にも水の中にも、朝から晩まで、沢山の人が集って来て、砂山からでも見ていると、あんなに大勢な人間が一たい何所から出て来たのだろうと不思議に思えるほどですが、九月にはいってから三日目になるその日には、見わたすかぎり砂浜の何所・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・それにしてもより稀薄に支配階級の血を伝えた私生児中にかかる気勢が見えはじめたことは、大勢の赴くところを予想せしめるではないか。すなわち私生児の供給がやや邪魔になりかかりつつあるのを語っているのではないか。この実状を眼前にしながら、クロポトキ・・・ 有島武郎 「片信」
・・・ 子供たち大勢がわやわやいって走り寄った。クサカの方ではやや恐怖心を起して様子を見て居た。クサカの怖れは打たれる怖れではない。最早鋭い牙を、よしや打たれてもこの人たちに立てることが出来ぬようになったのを怖れるのだ。平生の人間に対する憤り・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・あの時分九時半から毎晩のように遊びましたね。その通りにこうやって将棊を一度さそうというのが。 そうじゃないんですか、あら、あれお聞きなさい。あの大勢の人声は、皆、貴下の名誉を慕うて、この四阿へ見に来るのです。御覧なさい、あなたがお仕事が・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・ とこの高松の梢に掛った藤の花を指して、連の職人が、いまのその話をした時は…… ちょうど藤つつじの盛な頃を、父と一所に、大勢で、金石の海へ……船で鰯網を曵かせに行く途中であった…… 楽しかった……もうそこの茶店で、大人たちは一度・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・それも大勢のお立て合う熱に浮されたと云うたら云えんこともなかろう。もう、死んだんが本統であったんやも知れんけど、兎角、勇気のないもんがこない目に会うて」と、左の肩を振って見せたが、腕がないので、袖がただぶらりと垂れていた。「帰って来ても、廃・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・夏目さんには大勢の門下生もあることだが、しかし皆夏目さんの後を継ぐことはできない傾向の人ばかりのように思う。ただ一人此処に挙ぐれば、現在は中央文壇から遠ざかっているけれども、大谷繞石君がいるだけである。この人は夏目さんの最も好い後継者ではあ・・・ 内田魯庵 「温情の裕かな夏目さん」
・・・文壇の大勢に、時としては、反抗したものを書き、それを売らなければ、ならぬということは、すでに其処に矛盾が存していたからです。 少しの貯えもなく、家庭に欠乏を告げているにかゝわらず、机に向って、自分の理想を描こうとする――そこには、精神だ・・・ 小川未明 「貧乏線に終始して」
出典:青空文庫