・・・ 二三年勤める積で、陸軍には出た。大尉になり次第罷めるはずである。それを一段落として、身分相応に結婚して、ボヘミアにある広い田畑を受け取ることになっている。結婚の相手の令嬢も、疾っくに内定してある。令嬢フィニイはキルヒネツグ領のキルヒネ・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・この間も蓋平で第六師団の大尉になっていばっている奴に邂逅した。 軍隊生活の束縛ほど残酷なものはないと突然思った。と、今日は不思議にも平生の様に反抗とか犠牲とかいう念は起こらずに、恐怖の念が盛んに燃えた。出発の時、この身は国に捧げ君に捧げ・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・ 世田が谷近くで将校が二人乗った。大尉のほうが少佐に対して無雑作な言語使いでしきりに話しかけていた。少佐は多く黙っていた。その少佐の胸のボタンが一つはとれて一つはとれかかっているのが始終私の気にかかった。 同乗の小学生を注意して見る・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・T氏とハース氏とドイツ大尉夫妻と自分と合わせて五人の組を作ってこの老人の厄介になることにした。無蓋の馬車にぎし詰めに詰め込まれてナポリの町をめぐり歩いた。 とある寺院へはいって見た。古びたモザイックや壁画はどうしても今の世のものではなか・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・あの後父が再び上京して帰った時の話の末に、お房と云う女中は縁あって或る大尉とかの妻になったと聞いた。事によれば今も同じ東京に居るかも知れぬ。彼は云わば玉の輿にのったとも云われようが、自分の境遇は随分変った。たとえ昔のお房に再会するような事が・・・ 寺田寅彦 「やもり物語」
・・・それがお前さん、動員令が下って、出発の準備が悉皆調った時分に、秋山大尉を助けるために河へ入って、死んじゃったような訳でね。」「どうして?」 爺さんは濃い眉毛を動かしながら、「それはその秋山というのが○○大将の婿さんでね。この人がなか・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・ けれども、電車の中は案外すいていて、黄い軍服をつけた大尉らしい軍人が一人、片隅に小さくなって兵卒が二人、折革包を膝にして請負師風の男が一人、掛取りらしい商人が三人、女学生が二人、それに新宿か四ツ谷の婆芸者らしい女が一人乗っているばかり・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・自分らの頭の上は仮の桟敷で、そこには大尉以下の人が二、三十人、いつも大声で戦の話か何かして居る。その桟敷というのは固より低いもので、下に居る自分らがようよう坐れる位のものだから、呼吸器の病に罹って居る自分は非常に陰気に窮屈に感ぜられる。血を・・・ 正岡子規 「病」
・・・ まっ黒くなめらかな烏の大尉、若い艦隊長もしゃんと立ったままうごきません。 からすの大監督はなおさらうごきもゆらぎもいたしません。からすの大監督は、もうずいぶんの年老りです。眼が灰いろになってしまっていますし、啼くとまるで悪い人形の・・・ 宮沢賢治 「烏の北斗七星」
・・・「あの本――少年倶楽部……僕よんだことあるよ、島村大尉ってとても勇ましいんだね」「ハハハハそれは違うよ、それは別の人が拵えたんだよ多勢で……ハハハハハハ」 その人が一太の顔を気持良く輝く日向みたいな眼で真正面から見て笑うので、一・・・ 宮本百合子 「一太と母」
出典:青空文庫