一 今より六七年前、私はある地方に英語と数学の教師をしていたことがございます。その町に城山というのがあって、大木暗く茂った山で、あまり高くはないが、はなはだ風景に富んでいましたゆえ、私は散歩がてらいつも・・・ 国木田独歩 「春の鳥」
・・・古い大木となって、幹が朽ち苔が生えて枯れたように見えていても、春寒の時からまだまだ生きている姿を見せて花を咲かせる。 早生の節成胡瓜は、六七枚の葉が出る頃から結顆しはじめるが、ある程度実をならせると、まるでその使命をはたしてしまったかの・・・ 黒島伝治 「短命長命」
・・・墓の傍の栗の大木は、昔のままだった。 生家の玄関にはいる時には、私の胸は、さすがにわくわくした。中はひっそりしている。お寺の納所のような感じがした。部屋部屋が意外にも清潔に磨かれていた。もっと古ぼけていた筈なのに、小ぢんまりしている感じ・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・茶店の上には樫の大木がしげった枝をさしのべていていい雨よけになった。 つまりそれまでのスワは、どうどうと落ちる滝を眺めては、こんなに沢山水が落ちてはいつかきっとなくなって了うにちがいない、と期待したり、滝の形はどうしてこういつも同じなの・・・ 太宰治 「魚服記」
・・・ 私は丸山君を吉祥寺駅まで送って行って、帰途、公園の森の中に迷い込み、杉の大木に鼻を、イヤというほど強く衝突させてしまった。 翌朝、鏡を見ると、目をそむけたいくらいに鼻が赤く、大きくはれ上っていて、鬱々として楽しまず、朝の食卓につい・・・ 太宰治 「酒の追憶」
・・・樽の中から富士を見せたり、大木の向こうに小さな富士を見せたりするシリーズは言わば富士をライトモチーヴとしたモンタージュの系列である。 こういう意味において映画というものの一つのプロトタイプとでも言わるべきものは絵巻物の類である。これは空・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・天性の猟師が獲物をねらっている瞬間に経験する機微な享楽も、樵夫が大木を倒す時に味わう一種の本能満足も、これと類似の点がないとはいわれない。 しかし科学者と芸術家の生命とするところは創作である。他人の芸術の模倣は自分の芸術でないと同様に、・・・ 寺田寅彦 「科学者と芸術家」
・・・樺や栃や厚朴や板谷などの健やかな大木のこんもり茂った下道を、歩いている人影も自動車の往来もまれである。自転車に乗った御用聞きが西洋婦人をよけようとしてぬかるみにすべってころんだ。 至るところでうぐいすが鳴く。もしか、うぐいすの鳴き声のき・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
・・・ この道の分れぎわに榎の大木が立っていて、その下に一片の石碑と、周囲に石を畳んだ一坪ほどの池がある。 今年の春、田家にさく梅花を探りに歩いていた時である。わたくしは古木と古碑との様子の何やらいわれがあるらしく、尋常の一里塚ではないよ・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・堤の上は大門近くとはちがって、小屋掛けの飲食店もなく、車夫もいず、人通りもなく、榎か何かの大木が立っていて、その幹の間から、堤の下に竹垣を囲し池を穿った閑雅な住宅の庭が見下された。左右ともに水田のつづいた彼方には鉄道線路の高い土手が眼界を遮・・・ 永井荷風 「里の今昔」
出典:青空文庫