・・・ さて次の間へ通った新蔵は、遠慮なく座蒲団を膝へ敷いて、横柄にあたりを見廻すと、部屋は想像していた通り、天井も柱も煤の色をした、見すぼらしい八畳でしたが、正面に浅い六尺の床があって、婆娑羅大神と書いた軸の前へ、御鏡が一つ、御酒徳利が一対・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・狼の和訓おおかみといえるは大神の義にて、恐れ尊めるよりの称なれば、おもうに我邦のむかし山里の民どもの甚く狼を怖れ尊める習慣の、漸くその故を失ないながら山深きここらにのみ今に存れるにはあらずや。 我邦には獅子虎の如きものなければ、獣には先・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・から、烏は熊野に八咫烏の縁で、猿は日吉山王の月行事の社猿田彦大神の「猿」の縁であるが如しと前人も説いているが、稲荷に狐は何の縁もない。ただ稲荷は保食神の腹中に稲生りしよりの「いなり」で、御饌津神であるその御饌津より「けつね」即ち狐が持出され・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・ この主婦の亡夫は南洋通いの帆船の船員であったそうで、アイボリー・ナッツと称する珍しい南洋産の木の実が天照皇大神の掛物のかかった床の間の置物に飾ってあった。この土地の船乗りの中には二、三百トンくらいの帆船に雑貨を積んで南洋へ貿易に出掛け・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・「とこしへに民安かれと祈るなる吾代を守れ伊勢の大神」。その誠は天に逼るというべきもの。「取る棹の心長くも漕ぎ寄せん蘆間小舟さはりありとも」。国家の元首として、堅実の向上心は、三十一文字に看取される。「浅緑り澄みわたりたる大空の広きをおのが心・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・その煤けた天照大神と書いた掛物の床の間の前には小さなランプがついて二枚の木綿の座布団がさびしく敷いてあった。向うはすぐ台所の板の間で炉が切ってあって青い煙があがりその間にはわずかに低い二枚折の屏風が立っていた。 二人はそこにあったもみく・・・ 宮沢賢治 「泉ある家」
・・・唯願うらくはかの如来大慈大悲我が小願の中に於て大神力を現じ給い妄言綺語の淤泥を化して光明顕色の浄瑠璃となし、浮華の中より清浄の青蓮華を開かしめ給わんことを。至心欲願、南無仏南無仏南無仏。 爾の時に疾翔大力、爾迦夷に告げて曰く、諦に聴け諦・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
・・・第二の精霊 して御やりなされ、悪い大神の御とがめをうくるほどの事ではない。精女、ためらいながら左の手につぼをもちかえてまっしろな右の手を栗毛の若い精霊の髪の上に置く。若い精霊は涙をこぼして居る。第一の精霊 キッスをし・・・ 宮本百合子 「葦笛(一幕)」
・・・天照大神の物語は日本の古代社会には女酋長があったという事実を示しているとともに、その氏族の共同社会での女酋長の仕事の一つとして彼女は織りものをしたということが語られている。天照という女酋長が、出来上ることをたのしみにして織っていた機の上に弟・・・ 宮本百合子 「衣服と婦人の生活」
・・・天照大神という名は、後代の支配者たちが政治的に利用して、宗教的崇拝の中心に置いたが、現実に歴史をさぐれば、天照大神は古代日本の社会において、一人の女酋長であった。日本の石器時代の氏族社会は、まだ総ての生産手段とその収穫とを共有していた時代で・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
出典:青空文庫