・・・ いや、どうも引手あまたで。大連が一台ずつ、黒塗り真円な大円卓を、ぐるりと輪形に陣取って、清正公には極内だけれども、これを蛇の目の陣と称え、すきを取って平らげること、焼山越の蠎蛇の比にあらず、朝鮮蔚山の敵軍へ、大砲を打込むばかり、油の黒・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・北海道歌志内の鉱夫、大連湾頭の青年漁夫、番匠川の瘤ある舟子など僕が一々この原稿にあるだけを詳しく話すなら夜が明けてしまうよ。とにかく、僕がなぜこれらの人々を忘るることができないかという、それは憶い起こすからである。なぜ僕が憶い起こすだろうか・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・彼は、愛国心に満ちた士官の持つ、それと同じ心臓で、運送船で敵地に送られた陸兵の上陸や、大連湾の攻撃や、威海衛の偵察、旅順攻撃、戦争中の軍艦に於ける生活、威海衛の大攻撃等を見、聞き、感じて、それを報告している。しかも、一新聞記者の無味乾燥な報・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・今日では立派な医師となって大連の方に住んでいるのである。家族一同の写真を送ってくれたが、四十年前の亀さんの面影が今日でもそっくりそのままに残っているのであった。 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
○明治廿八年五月大連湾より帰りの船の中で、何だか労れたようであったから下等室で寝て居たらば、鱶が居る、早く来いと我名を呼ぶ者があるので、はね起きて急ぎ甲板へ上った。甲板に上り著くと同時に痰が出たから船端の水の流れて居る処へ何心なく吐くと・・・ 正岡子規 「病」
・・・「全くお蔭を持ちまして心得違を致しませんものですから、凱旋いたしますまで、どの位肩身が広かったか知れません。大連でみんなが背嚢を調べられましたときも、銀の簪が出たり、女の着物が出たりして恥を掻く中で、わたくしだけは大息張でござりました。・・・ 森鴎外 「鶏」
・・・旅順は落ちると云う時期に、身上の有るだけを酒にして、漁師仲間を大連へ送る舟の底積にして乗り出すと云うのは、着眼が好かったよ。肝心の漁師の宰領は、為事は当ったが、金は大して儲けなかったのに、内では酒なら幾らでも売れると云う所へ持ち込んだのだか・・・ 森鴎外 「鼠坂」
出典:青空文庫