ある晩私は桂三郎といっしょに、その海岸の山の手の方を少し散歩してみた。 そこは大阪と神戸とのあいだにある美しい海岸の別荘地で、白砂青松といった明るい新開の別荘地であった。私はしばらく大阪の町の煤煙を浴びつつ、落ち着きのない日を送っ・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・長野は大阪からながれてきた男で、専売局工場の電機修繕工をしている。三吉たちの熊本印刷工組合とはべつに、一専売局を中心に友愛会支部をつくっていて、弁舌がたっしゃなのと、煙草色の制服のなかで、機械工だけが許されている菜ッ葉色制服のちがいで、女工・・・ 徳永直 「白い道」
・・・ 葉松石は同じころ、最初の外国語学校教授に招聘せられた人で、一度帰国した後、再び来遊して、大阪で病死した。遺稿『煮薬漫抄』の初めに詩人小野湖山のつくった略伝が載っている。 毎年庭の梅の散りかける頃になると、客間の床には、きまって何如・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・それにしてもHはあんまりじゃないか、せめて大阪とか名古屋とかなら地方でも仕方がないけれどもと、自分は当人がすでにきめたというにもかかわらず一応彼のH行に反対してみた。その時重吉はただにやにや笑っていた。そうして今急にあすこに欠員ができて困っ・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・作る者あり、提灯を張る者あり、或は白木の指物細工に漆を塗てその品位を増す者あり、或は戸障子等を作て本職の大工と巧拙を争う者あり、しかのみならず、近年に至ては手業の外に商売を兼ね、船を造り荷物を仕入れて大阪に渡海せしむる者あり、或は自からその・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・○御所柿を食いし事 明治廿八年神戸の病院を出て須磨や故郷とぶらついた末に、東京へ帰ろうとして大坂まで来たのは十月の末であったと思う。その時は腰の病のおこり始めた時で少し歩くのに困難を感じたが、奈良へ遊ぼうと思うて、病を推して出掛けて行た・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・同じ旅行でも関西方面より北の方がいいと思います。大阪、京都などのような都会は、違った文化が見られて悪るくはないと思いますが、旅として見て、東海道あたりの海が見え、松があるといった美しいだけで、唯長々と眠につづいている整然とした風景よりも、変・・・ 宮本百合子 「愛と平和を理想とする人間生活」
・・・与左衛門の子が八左衛門で、大阪籠城のとき、後藤基次の下で働いたことがある。細川家に召し抱えられてから、千石取って、鉄砲五十挺の頭になっていた。四月二十九日に安養寺で切腹した。五十三歳である。藤本猪左衛門が介錯した。大塚は百五十石取りの横目役・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・「やはり吉を大阪へやる方が好い。十五年も辛抱したなら、暖簾が分けてもらえるし、そうすりゃあそこだから直ぐに金も儲かるし。」 そう父親がいうのに母親はこう言った。「大阪は水が悪いというから駄目駄目。幾らお金を儲けても、早く死んだら・・・ 横光利一 「笑われた子」
・・・もう二、三日すれば、お盆のために蓮の花をどんどん切って大阪と京都とへ送り出すので、その前の今がちょうど見ごろだというわけであった。それでは落合太郎君もさそおうではないかと言って、そのころ真如堂の北にいた落合君のところを十時ごろに訪ねた。そう・・・ 和辻哲郎 「巨椋池の蓮」
出典:青空文庫