てんぽうきんぎん【天保金銀】
江戸幕府が天保3年(1832)から同9年の間に鋳造した金銀貨の総称。二朱判金・五両判金・小判金・大判金・一分判金・一分銀・丁銀・豆板銀など。
てんぽうざん【天保山】
大阪市港区、安治川 (あじがわ) 河口の小丘。高さ約4.5メートル。天保年間(1830〜1844)に安治川改修の泥上げでできたもの。江戸時代は、目印山 (めじるしやま) と称された。
てんぽうすいこでん【天保水滸伝】
講談。笹川繁蔵 (ささがわのしげぞう) と飯岡助五郎 (いいおかのすけごろう) の確執や勢力富五郎 (せいりきとみごろう) の自殺を中心に、下総 (しもうさ) の利根川周辺の侠客の争いを描く。浪曲・歌舞伎などにも取り入れられた。
てんぽうせん【天保銭】
1 天保通宝の俗称。 2 《明治時代、天保通宝の通用が8厘で1銭に足りないところから》知恵の足りない者。 3 《形が似ているところから》旧陸軍大学校卒業生が胸につけた記章。また、その軍人。
てんぽうつうほう【天保通宝】
江戸幕府が天保6年(1835)以降鋳造した長円形の銅銭。1枚は、初め100文(実際には80文)に、明治以後は8厘に通用、明治24年(1891)に通用禁止。当百銭。百文銭。
てんぽうのかいかく【天保の改革】
天保12〜14年(1841〜43)老中水野忠邦が行った幕府の政治・経済改革。倹約・風俗粛正を断行し、農村復興のための人返しの令、株仲間の解散、物価引き下げなどの諸改革を行った。また、江戸・大坂10里四方を天領としようとしたが、激しい反対にあい、忠邦は失脚した。
てんぽうのききん【天保の飢饉】
天保4〜7年(1833〜36)にかけての全国的な大飢饉。異常低温による大凶作となり、米価が高騰して餓死者が続出。各地に一揆・打ち壊しが発生し、江戸幕府の体制的危機を促した。
てんぽうれき【天保暦】
日本で最後の太陰太陽暦。天保13年(1842)改暦が決まり、弘化元年(1844)から明治5年(1872)の太陽暦採用までの約30年間用いられた。天保壬寅元暦 (てんぽうじんいんげんれき) 。