・・・と小声で吟じ、さて、何の面白い事もなく、わが故土にいながらも天涯の孤客の如く、心は渺として空しく河上を徘徊するという間の抜けた有様であった。「いつまでもこのような惨めな暮しを続けていては、わが立派な祖先に対しても申しわけが無い。乃公もそ・・・ 太宰治 「竹青」
・・・少しはしたないような気はしたが、天涯の孤客だからと自分で自分に申し訳を云った。このローマの宿の一顆の柿の郷土的味覚はいまだに忘れ難いものの一つである。 味覚の追憶などはあまり品の好い話ではないようである。しかしそれだけに原始的本能的に深・・・ 寺田寅彦 「郷土的味覚」
・・・その詩は父の遺稿に、蘆花如雪雁声寒 〔蘆花は雪の如く 雁の声は寒し把酒南楼夜欲残 南楼に酒を把り 夜残らんと欲す四口一家固是客 四口の一家は固より是れ客なり天涯倶見月団欒 天涯に倶に見る月も団欒す〕・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・という、いよいよ降参人の降参人たる本領を発揮せざるを得ざるに至った、ああ悲夫、 乗って見たまえとはすでに知己の語にあらず、その昔本国にあって時めきし時代より天涯万里孤城落日資金窮乏の今日に至るまで人の乗るのを見た事はあるが自分が乗って見・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・が細く深くなって知識や興味の面積が日に日に狭められて行くならば、吾人は表面上社会的共同生活を営んでいるとは申しながら、その実銘々孤立して山の中に立て籠っていると一般で、隣り合せに居を卜していながら心は天涯にかけ離れて暮しているとでも評するよ・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
出典:青空文庫