・・・一声の汽笛が高く長く尻を引いて動き出した上野の一番汽車は、見る見る中に岡の裾を繞ッて、根岸に入ッたかと思うと、天王寺の森にその煙も見えなくなッた。 この文を読んで、現在はセメントの新道路が松竹座の前から三ノ輪に達し、また東西には二筋・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・ 一声の汽笛が高く長く尻を引いて動き出した上野の一番汽車は、見る見るうちに岡の裾を繞ッて、根岸に入ッたかと思うと、天王寺の森にその煙も見えなくなッた。 窓の鉄棒を袖口を添えて両手に握り、夢現の界に汽車を見送ッていた吉里は、すでに煙が・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ 蕪村とは天王寺蕪の村ということならん、和臭を帯びたる号なれども、字面はさすがに雅致ありて漢語として見られぬにはあらず。俳諧には蕪村または夜半亭の雅名を用うれど、画には寅、春星、長庚、三菓、宰鳥、碧雲洞、紫狐庵等種々の異名ありきとぞ。か・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・大阪ではひどい雨に会って、天王寺の会場へゆく道々傘をもたない私共は濡れて歩いたのであったが、稲子さんは、宿をかしてくれた友達のマントを頭からかぶって、足袋にはねをあげまいと努力しながら、いそいで歩いた。私は洋服を着て、その不自由そうな様子を・・・ 宮本百合子 「窪川稲子のこと」
・・・しかし、周囲の生活の内容は谷中天王寺町の小さい庭をもった家の中でのものとすっかりちがい、一人の婦人作家を、その日常の生活でカナダにおける移民問題の中へ、第二世問題の中へ押し出した結果となった。 ジュンというノルマル・スクールに通っている・・・ 宮本百合子 「十月の文芸時評」
出典:青空文庫