・・・むかし待乳山の岡の下には一条の細い町があって両側に並んでいる店付の質素な商店の中には、今戸焼の陶器や川魚の佃煮を売る店があって、この辺一帯の町を如何にも名所らしく思わせていたが、今はセメントで固めた広い道路となってトラックが砂烟を立てて走っ・・・ 永井荷風 「水のながれ」
・・・ローマンチシズムは、己以上の偉大なるものを材料として取扱うから、感激的であるけれども、その材料が読む者聞く者には全く、没交渉で印象にヨソヨソしい所がある、これに引き換えてナチュラリズムは、如何に汚い下らないものでも、自分というものがその鏡に・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・それを御話するために此処へ登ったんじゃないが、如何にわれわれが悪かったかということを懺悔するために御話するのであるから、その真似をしちゃいけませんよ。現に彼処に教場に先生の机がある。先ず私たちは時間の合間合間に砂糖わりの豌豆豆を買って来て教・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・又食物も気を付けて無害なる滋養品を与うるは言うまでもなきことながら、食物一方に依頼して子供を育てんとするは是亦心得違なり。如何に食物を良くするも、其食物に相応する丈けの体動なくしては、食物こそ却て発育の害なれ。田舎の小民の子が粗食大食勝手次・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・良人は自分のある御かげで、彼が如何に物質的豊富であり、女性を遇する方法を知って居るかを人に誇ることが出来るのではないか、私共はどうせ、利益の交換で生きて居るのだと云う婦人。 此等三つの群のほかに、勿論、或一点を堂々廻りして只平安に生きて・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・即ち、その誹謗が実質的な価値は持って居ないと分りつつ尚不快である如く、或る賞揚や尊敬は、又其の実質が如何に低いかを知りつつ、又或る淡い愉快と、由づけとを感じないわけには行かないということなのである。 小さい魂や、浅薄な動機からの追従も、・・・ 宮本百合子 「樹蔭雑記」
・・・死なれて見て、祖母と自分との絆が如何に深いものであったかを知った淋しさとも云える。何だか淋しい。心持の上で、祖母は死んでこの世から消滅し切ったものとは思えず、芝居でする遠見の敦盛のように、遙か彼方で小さく、まざまざと活き動いているのが見える・・・ 宮本百合子 「祖母のために」
・・・その明快な自分を傍観する彼は、如何に私が幸福だからと云って、自分をも亦幸福にする事は出来ないのだ。 どんな心持で、私は、愛する者と偕に棲み、偕に仕事をする自分を見る事だろう。 愛する者よ、自分は又、自分の殆ど不可抗の無力を犇々と感じ・・・ 宮本百合子 「日記・書簡」
・・・バルザックは、とりも直さずそのような意味でのリアリスト芸術家であり、彼の作品がリアリズムの作品であったということはエンゲルスの云うとおり「作者の見解如何にかかわらずあらわれて来」たものである。即ち自身トゥールの農民の息子であるにかかわらず、・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・ 私が心をうごかされたのは、その久美子さんの聰い観察力をもってしても、父である本間氏と母である本間夫人との間に交わされた前述の短い会話のやりとりの間に、如何に深刻な新しい歴史の担い手の社会的内容が暗示されているかを見やぶっておられない事・・・ 宮本百合子 「短い感想」
出典:青空文庫