・・・見かけによらず如才ない老爺は紅葉を娘の前へだし、これごろうじろ、この紅葉の美しさ、お客さまがぜひお嬢さんへのおみやげにって、大首おって折ったのぞなどいう。まだ一度も笑顔を見せなかった美人も、いまは花のごときえみをたたえて紅葉をよろこんだ。晩・・・ 伊藤左千夫 「河口湖」
・・・――先生にも頼んでおきたいんです、の。如才はございますまいが、青木さんが、井筒屋の方を済ましてくれるまで、――今月の末には必らずその残りを渡すと言うんですから――この月一杯は大事な時でございます。お互いに、ね、向うへ感づかれないように――」・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・召使いの奉公人にまでも如才なくお世辞を振播いて、「家の旦那さんぐらいお世辞の上手な人はない」と奉公人から褒められたそうだ。伊藤八兵衛に用いられたのはこの円転滑脱な奇才で、油会所の外交役となってから益々練磨された。晩年変態生活を送った頃は年と・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ が、沼南の応対は普通の社交家の上ッ滑りのした如才なさと違って如何にも真率に打解けて対手を育服さした。いつもニコニコ笑顔を作って僅か二、三回の面識者をさえ百年の友であるかのように遇するから大抵なものはコロリと参って知遇を得たかのように感・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・そこらに如才のあるようなお光さんでもないのに、私もどうかしていますね、ほほほほ」と媼さんも笑って、「では、写真を持っておいでなさいましてから、その後まだ何とも?」「はあ、いろいろ何だか用の多い人ですから……」「いえね、それならば何で・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・どうしてこんな田舎へ来てくれたかなどと、挨拶も如才ない。今度の奥さんはミッション・スクウルを出た婦人で、先生とは大分年は違うが、取廻しよく皆なを款待した。奥さんは先生のことを客に話すにも、矢張「先生は」とか「桜井が」とか親しげに呼んでいた。・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・と相川の妻は如才なく、「どんなにか宿でも喜んでおりますんですよ」 こういう話をしているうちに、相川は着物を着更えた。やがて二人の友達は一緒に飯田町の宿を出た。 昼飯は相川が奢った。その日は日比谷公園を散歩しながら久し振でゆっくり話そ・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・時、信濃の山々、奥深くにたてこもって、創作三昧、しずかに一日一日を生きて居られた藤村、島崎先生から、百枚ちかくの約束の玉稿、ぜひともいただいて来るよう、まして此のたびは他の雑誌社に奪われる危険もあり、如才なく立ちまわれよ、と編輯長に言われて・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・それから十市の作さんという楊梅売りのとぼけたようで如才のない人物が昔のわが家の台所を背景として追憶の舞台に活躍するのである。 大正四、五年頃、今は故人となった佐野静雄博士から伊豆伊東の別荘に試植するからと云って土佐の楊梅の苗を取寄せるこ・・・ 寺田寅彦 「郷土的味覚」
・・・たる意味をもって坂の上から坂の下まで辛うじて乗り終せる男なり、遠乗の二字を承って心安からず思いしが、掛直を云うことが第二の天性とまで進化せる二十世紀の今日、この点にかけては一人前に通用する人物なれば、如才なく下のごとく返答をした「さよう遠乗・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
出典:青空文庫