・・・もう少し行くと路地の角の塀に掛けた居住者姓名札の中に「寒川陽光」とあるのが突然眼についた。そのすぐ向う側に寒川氏の家があって、その隣が子規庵である。表札を見ると間違いはないのであるが、どういうものか三十年前の記憶とだいぶちがうような気がする・・・ 寺田寅彦 「子規自筆の根岸地図」
・・・然し松方山本二氏の姓名の永くわが文化史上に記録せられべきものたることは言うを俟たない。 大正八年の秋始て帝国劇場に於てオペラを演奏した芸人の一座は其本国を亡命した露西亜人によって組織せられていた。露西亜は欧米の都会に在ってさえ人々の常に・・・ 永井荷風 「帝国劇場のオペラ」
・・・前の方を繰りひろげて見ると日本人の姓名は一人もない。して見ると日本人でここへ来たのは余が始めてだなと下らぬ事が嬉しく感ぜられる。婆さんがこちらへと云うから左手の戸をあけて町に向いた部屋に這入る。これは昔し客間であったそうだ。色々なものが並べ・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・然るに西洋流の帳面をそのままに用い、横文の数字を横に記して、人の姓名も取引の事柄も日本の字を横に書き、いわば額面の文字を左の方から読む趣向にするものありと聞けり。 この趣向はなはだ便利なり。第一、西洋の帳面を摸製するにやすく、あるいは摸・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・貴様は何じゃ、往来で大声放歌はならんちゅう位の事は心得て居るじゃろう。どうも恐れ入りましてございます。恐れ入ったではいかんじゃないか。恐れ入りましてございます。貴様姓名は何というか。へ私は神田八丁堀二丁目五十五番地ふくべ屋呑助と申します、ど・・・ 正岡子規 「煩悶」
・・・「よろしい。わかった。」とネネムの裁判長が云いました。「姓名年齢、その通りに相違ないか。」「相違ありません。」「その方はアツレキ三十一年二月七日、伊藤万太方の八畳座敷に故なくして擅に出現したることは、しかとその通りに相違ない・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・彼は三十四年目で始めて、彼女が有坂イサヲと云う姓名で、籍は二里近く離れた柳田村にあることを知った。 此那奇蹟的関心が沢や婆に払われるには原因があった。仙二の家の納屋をなおした小屋に沢や婆は十五年以上暮していた。一月の三分の二はよその屋根・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・であり、改革された土地に対する新しい自分たちの権利について署名したのが、自分の姓名のかきはじめだというような事情は、ロシヤの人民が文盲撲滅運動でピオニェールからアルファベットをおそわった頃、まずおぼえたのが、「ソヴェト」という字であったこと・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・何人かの姓名が告げられた。評論家も何人か入っている。窪川夫妻も、すれすれだろうということであった。私は、かかえた風呂敷包みの中に、ついそこで買ったお正月用の「きんとん」の包をもっていた。半分は、白いうずら豆の「きんとん」ではあったが、たっぷ・・・ 宮本百合子 「ある回想から」
・・・私の心覚えのある姓名の人であった。 洋服を着、何心なく来かかるその男を見ると、赤い着物の気の違った女の子は、いきなり腕をからみ合って居た私を突のけて、男の方へかけて行った。そして、手を執り、首をかしげて、頻りに何か頼んで居る。何処へ行く・・・ 宮本百合子 「或日」
出典:青空文庫