・・・まんじ巴と男女の性がいりみだれ、どんな姿態が展開されたにしても、大局からみれば、文学に渦まくそのまんじ巴そのものが、日本の悲劇と無方向を語るものでしかない。D・H・ローレンスの作品のあるものは、一九三〇年代のはじめごろ、日本に翻訳された。三・・・ 宮本百合子 「傷だらけの足」
・・・其が、完く、泣虫寺のおしょうの見たように踊り廻り、とっ組み合い、千変万化の姿態で私の前に現れます。 その一つ一つに、何か不具なところが在るように思われます。この不具は、存在の全部を否定するものではございませんが、兎に角、何か不具なところ・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・も、こけおどしめいて大群集を色彩豊かに舞台の上に並べたてるが、その一幕の中心となる情景に向って、数百人の人間の動きを統一させ、照明とともにあくまでもテーマに即した感情表現・姿態をさせている。主役の補助、舞台効果の奥ゆきとしてつかっている。こ・・・ 宮本百合子 「ソヴェトの芝居」
・・・そういう日常の姿態の女として描かれている。妻とのせっぱつまった苦しい感情、父、弟からの人間として遠い感情、この一郎の暗澹とした前途をHさんは「一撃に所知を亡う」香厳の精神転換、或は脱皮をうらやむ一郎の心理に一筋の光明を托して、一篇の終りとし・・・ 宮本百合子 「漱石の「行人」について」
・・・が『三田文学』に連載されやがて一般の興味をひきつけた時代には、そのエロティシズムも、少女から脱けようとしている特異な江波の生命の溢れた姿態の合間合間が間崎をとらえる心理として描かれており、皮膚にじっとりとしたものを漲らせつつも作者の意識は作・・・ 宮本百合子 「文学と地方性」
・・・同じ程度の現実に対する無知がその実質であったとしても、これまでの作家横光は、少くともその作家的姿態に於ては、何か高邁なるものを求めようとしている努力の姿において自身を示して来た。内容はどういうものにしろ、高邁な精神という流行言葉が彼の周囲か・・・ 宮本百合子 「「迷いの末は」」
・・・或る気質の女のひとが男などと話しているときの一つの姿態としてそういう表現でものを云うようなことも少なくはないであろう。女のそういう時の本当の心持、うその心持の綯い交る状態を寧ろ面白く思ってきいたのであった。 そのことはそれきり忘れていて・・・ 宮本百合子 「未開の花」
・・・大石段は目的のない人間のいろんな姿態で一杯に重くされ、丹念に暇にあかして薄い紙と厚い紙とがはなればなれになるまで踏みにじられた煙草の吸口などが落ちていた。ボソボソ水気なしでパンをかじった。鳩が飛んで来てこぼれを探し、無いので後から来た別な鳩・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
・・・女性としての人間精神の確立ということについては一葉も時代の制約のなかにあって、確立を不可能にしている世の中の、女への掟に身をうち当てて文学はその訴えの姿態としてあらわれているのである。 小学校を出たばかりの少年や少女たちは、この一二年の・・・ 宮本百合子 「若き精神の成長を描く文学」
・・・ 高田が帰ってからも、梶は、今まで事実無根のことを信じていたのは、高田を信用していた結果多大だと思ったが、それにしても、梶、高田、憲兵たち、それぞれ三様の姿態で栖方を見ているのは、三つの零の置きどころを違えている観察のようだった。 ・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫