娑婆で見た弥三郎
知っている人なのに、知らないふりをすること。弥三郎は、弥次郎・弥十郎などともいう。「この世の人とも思はれず、—殿の御礼」〈浮・一代男・七〉
しゃばいらい【娑婆以来】
久しぶりに会ったときに使うあいさつの語。江戸時代、通人仲間で用いた。また、特に遊郭内で知人に出会ったときにも用いた。「—是 (これ) は是はとそり返り」〈柳多留・三〉
しゃばけ【娑婆気】
現世に執着する心。世俗的な名誉や利益を求める心。しゃばき。しゃばっけ。「—を起こす」「—が抜けない」
しゃばせかい【娑婆世界】
「娑婆1」に同じ。「—の思ひ出にとて」〈平家・三〉
しゃばっけ【娑婆っ気】
「しゃばけ(娑婆気)」に同じ。
しゃばふさぎ【娑婆塞ぎ】
生きているというだけで、なんの役にも立たないこと。また、その人。しゃばふさげ。「娌子 (よめご) にあかるる身となり、一日も—」〈浮・織留・一〉