・・・ところが魚というのは、それは魚だからいさえすれば餌があれば食いそうなものだけれども、そうも行かないもので、時によると何かを嫌って、例えば水を嫌うとか風を嫌うとか、あるいは何か不明な原因があってそれを嫌うというと、いても食わないことがあるもん・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・ものごとを未解決のままで神の裁断にまかせることを嫌う。なにもかも自分で割り切ってしまいたい。神は何ひとつ私に手伝わなかった。私は霊感を信じない。知性の職人。懐疑の名人。わざと下手くそに書いてみたりわざと面白くなく書いてみたり、神を恐れぬよる・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・「物忌み」らしく思われるのである。「嫌う」ともちがうし、「こわがる」ともちがう。 故芥川龍之介君が内田百間君の山高帽をこわがったという有名な話が伝えられている。これは「内田君の山高帽」をこわがったのか「山高帽の内田君」をこわがったのか、・・・ 寺田寅彦 「ピタゴラスと豆」
・・・ ○ 文学者を嫌うのも、検事を憎むのも、それは各人の嗜性に因る。父の好むところのものは必しも児のよろこぶものではない。嗜性は情に基くもので理を以て論ずべきではない。父と子と、二人の趣味が相異るに至るのは運命の戯・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・ 四 罪 アーサーを嫌うにあらず、ランスロットを愛するなりとはギニヴィアの己れにのみ語る胸のうちである。 北の方なる試合果てて、行けるものは皆館に帰れるを、ランスロットのみは影さえ見えず。帰れかしと念ずる人の便り・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・ 先生はこういう風にそれほど故郷を慕う様子もなく、あながち日本を嫌う気色もなく、自分の性格とは容れにくいほどに矛盾な乱雑な空虚にして安っぽいいわゆる新時代の世態が、周囲の過渡層の底からしだいしだいに浮き上って、自分をその中心に陥落せしめ・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生」
・・・または三井とか岩崎とかいう豪商が、私を嫌うというだけの意味で、私の家の召使を買収して事ごとに私に反抗させたなら、これまたどんなものでしょう。もし彼らの金力の背後に人格というものが多少でもあるならば、彼らはけっしてそんな無法を働らく気にはなれ・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・すなわち廃藩置県を悦ばざる者なり、法律改定を好まざる者なり、新聞の発行を嫌う者なり、商売工業の変化を悪む者なり、廃刀を怒るものなり、断髪を悲しむ者なり。あるいはこの諸件を擯斥するに非ず、口にこれを称し、事にこれを行うといえども、その心事の模・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・ことさらに富貴の人を嫌うて、貧賤を友とする者を見ず。その富貴上流の人に交るや、必ずしも彼の富貴を取りて我に利するに非ざれども、おのずからこれに接して快きものあればなり。なお俗間の婦女子が俳優を悦び、男子が芸妓を愛するが如し。そのこれを愛する・・・ 福沢諭吉 「教育の目的」
・・・されば今、私権を保護するは全く法律上の事にして、徳義には縁なきものの如くに見ゆれども、元これを保護せんとするの思想は、円満無欠なる我が身に疵つくるを嫌うの一念より生ずるものなれば、いやしくも内に自ら省みて疚しきものあるにおいては、その思想の・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
出典:青空文庫