・・・同じ筆法で行けば弘安四年六月三十日から七月一日へかけて玄界灘を通過した低気圧は我邦の存亡に多大の影響があったのである。もし当時元軍に現時の気象学の知識があったなら、あの攻撃はあるいはもう数ヶ月延期したかもしれない。 日露戦役の際でも我軍・・・ 寺田寅彦 「戦争と気象学」
・・・ 遊里の存亡と公娼の興廃の如きはこれを論ずるに及ばない。ギリシャ古典の芸術を尊むがために、誰か今日、時代の復古を夢見るものがあろう。甲戌十二月記 永井荷風 「里の今昔」
・・・ 左れば当時積弱の幕府に勝算なきは我輩も勝氏とともにこれを知るといえども、士風維持の一方より論ずるときは、国家存亡の危急に迫りて勝算の有無は言うべき限りにあらず。いわんや必勝を算して敗し、必敗を期して勝つの事例も少なからざるにおいてをや・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・人々の不安を国家存亡の危機という表現に結集させた。ひとことも、軍事的天皇制権力崩壊の危機とはいわなかった。正直な人々は、伝統的な感情にしたがって、国家が危急に瀕しているとき、まだとやかくいっている非国民! 理窟があるならまず協力して勝ってか・・・ 宮本百合子 「平和への荷役」
・・・豊臣家の存亡ということについて、責任を負う気持がなかったのも当然である。 悲劇と喜劇とが錯綜して、日夜運行していた大坂城の中にお菊という一人の老女があった。余程永年、豊臣家に仕えていたものらしい。ところが、このお菊がどんな生活をしていた・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
出典:青空文庫