・・・ 倫理学の根本問題と倫理学史とを学ぶときわれわれは人間存在というものの精神的、理性的構造に神秘の感を抱くとともに、その社会的共同態の生活事実の人間と起源を同じくする制約性を承認せずにはいられない。それとともに人間生活の本能的刺激、生活資・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・人間もやはり自然界の一存在で、その住んでいる土地に出来るその季節の物を摂取するのが一番適当な栄養摂取方法で、気候に適応する上からもそれが必要で、台湾にいれば台湾米を食い、バナナを食うのが最も自然で栄養上からもそれがよいとのことである。野菜や・・・ 黒島伝治 「外米と農民」
・・・好きな人があるので、骨董を売買するいわゆる骨董屋を生じ、骨董の目ききをする人、即ち鑑定家も出来、大は博物館、美術館から、小は古郵便券、マッチの貼紙の蒐集家まで、骨董畠が世界各国都鄙到るところに開かれて存在しているようになっている。実におもし・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・それが有形無形の自分の存在に非常の危険を持ち来たす。あるいは百年千年の後には、その方が一層幸福な生存状態を形づくるかも知れないが、少なくともすぐ次の将来における自己の生というものが威嚇される。単身の場合はまだよいが、同じ自己でも、妻と拡がり・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・ 舞台のない役者は存在しない。それは、滑稽である。 このごろだんだん、自分の苦悩について自惚れを持って来た。自嘲し切れないものを感じて来た。生れて、はじめてのことである。自分の才能について、明確な客観的把握を得た。自分の知識を粗末に・・・ 太宰治 「一日の労苦」
・・・無理な類推ではあるが人間の個性も、やっぱり何かしらひと花咲かせてみないと充分にその存在がはっきりしない、あれと同じだというような気がするのである。 去年の七月にはあんなにたくさんに池のまわりに遊んでいた鶺鴒がことしの七月はさっぱり見えな・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・最上の政府は存在を忘れらるる様な政府である。帽子は上にいるつもりであまり頭を押つけてはいけぬ。我らの政府は重いか軽いか分らぬが、幸徳君らの頭にひどく重く感ぜられて、とうとう彼らは無政府主義者になってしもうた。無政府主義が何が恐い? それほど・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・彼の存在は既に生きている時から誰にも認められていなかったのだ。 その時分、踊子たちの話によると、家もあった、おかみさんもあった。家は馬道辺で二階を人に貸して家賃の足しにしていた。おかみさんはまだ婆さんというほどではなく、案外垢抜けのした・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・尚前方を注視しつつ草履を穿くだけの余裕が其時彼の心に存在した。彼は蓆を押して外へ出た。棍棒が彼の足に触れた。彼はすぐにそれを手にした。そうしていきなり盗人に迫った。其時は既に盗ではなかった其不幸な青年は急遽其蜀黍の垣根を破って出た。体は隣の・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・しかしチェルシーは以前のごとく存在している。否彼の多年住み古した家屋敷さえ今なお儼然と保存せられてある。千七百八年チェイン・ロウが出来てより以来幾多の主人を迎え幾多の主人を送ったかは知らぬがとにかく今日まで昔のままで残っている。カーライルの・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
出典:青空文庫