・・・文部大臣が三君の中先ず第一に坪内君を擢んで報ゆるに博士の学位を以てしたのは推薦者たる大学もまた坪内君の功労を認めざるを得なかったのであろう。下らぬ比較をするようだが、この三君を維新の三傑に比べたなら高田君は大久保甲東で、天野君は木戸である。・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・『物理年鑑』に出した論文だけでも四つでその外に学位論文をも書いた。いずれも立派なものであるが、その中の一つが相対論の元祖と称せられる「運動せる物体の電気力学」であった。ドイツの大家プランクはこの論文を見て驚いてこの無名の青年に手紙を寄せ、そ・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・ 池中に棲息するある生物の研究を、学位論文の題目とした先輩が、少なくも二人はあるそうである。 田中館先生が電流による水道鉄管の腐蝕に関する研究をされた時、やはりこの池の水中でいろいろの実験をやられたように聞いている。その時に使われた・・・ 寺田寅彦 「池」
・・・また日本人の独創的な科学的研究でも、西洋人が一度きわめをつけないと、学位さえもらえないことがあるのとも一般である。 モンタージュはすなわちモンテーであり、マウンティングであり、日本語では取り付け、取り合わせ、付け合わせ、あしらいである。・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
「学位売買事件」というあまり目出度からぬ名前の事件が新聞社会欄の賑やかで無味な空虚の中に振り播かれた胡椒のごとく世間の耳目を刺戟した。正確な事実は審判の日を待たなければ判明しない。 学位などというものがあるからこんな騒ぎ・・・ 寺田寅彦 「学位について」
・・・翌三十五年助教授となり、四十二年応用力学研究のため満二年間独国及び英国へ留学を命ぜられ、これと同時に工学博士の学位を授けられた。四十四年帰朝後工科大学教授に任ぜられ、爾来最後の日まで力学、応用力学、船舶工学等の講座を受持っていた。大正七年三・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・それだのに不思議なことには従来灸治の科学的研究をして学位でも取ったという人は、あるかもしれないがあまりよく知られていないようである。今にドイツとか米国とかでだれかが歌麿や北斎を発見したように灸治法の発見をして大論文でも書くようになれば日本で・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・そんなものを書いても今の日本では学位も取れず金ももうからないためかもしれない。しかし昨今のように国粋的なものが喜ばれ注意される傾向の増進している時代では、あるいはこうした研究もそれほどに異端視されなくてもすむかもしれないと思われる。「囲碁」・・・ 寺田寅彦 「相撲」
・・・この学位を得た後に二人の友人とイタリア旅行をしたが、美術見物には大した興味がないようであった。 一八六五年の四月に始めての講演をした。ひどく「はにかみや」であったのでこの時の演説はよく聞き取れないくらいであった。しかし晩年はかなり講演が・・・ 寺田寅彦 「レーリー卿(Lord Rayleigh)」
・・・伊予にいる一旧友は余が学位を授与されたという通信を読んで賀状を書こうと思っていた所に、辞退の報知を聞いて今度は辞退の方を目出たく思ったそうである。貰っても辞してもどっちにしても賀すべき事だというのがこの友の感想であるとかいって来た。そうかと・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
出典:青空文庫