・・・ 平田は私立学校の教員か、専門校の学生か、また小官員とも見れば見らるる風俗で、黒七子の三つ紋の羽織に、藍縞の節糸織と白ッぽい上田縞の二枚小袖、帯は白縮緬をぐいと緊り加減に巻いている。歳は二十六七にもなろうか。髪はさまで櫛の歯も見えぬが、・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・近年の男子中には往々此道を知らず、幼年の時より他人の家に養われて衣食は勿論、学校教育の事に至るまでも、一切万事養家の世話に預り、年漸く長じて家の娘と結婚、養父母は先ず是れにて安心と思いの外、この養子が羽翼既に成りて社会に頭角を顕すと同時に、・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・長谷川静子殿長谷川柳子殿 遺族善後策これは遺言ではなけれど余死したる跡にて家族の者差当り自分の処分に迷うべし仍て余の意見を左に記す一 玄太郎せつの両人は即時学校をやめ奉公に出ずべし一 母上は後・・・ 二葉亭四迷 「遺言状・遺族善後策」
・・・ その時のピエエルは高等学校を卒業したばかりで、高慢なくせにはにかんだ、世慣れない青年であった。丈は不吊合に伸びていて、イギリス人の a long lad なんぞと云うたちである。金は無い。親を亡くした当座で、左の腕に喪章を附けている。・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・〔『ホトトギス』第四巻第六号 明治34・3・20 一〕○覆盆子を食いし事 明治廿四年六月の事であった。学校の試験も切迫して来るのでいよいよ脳が悪くなった。これでは試験も受けられぬというので試験の済まぬ内に余は帰国する事に定めた。菅笠・・・ 正岡子規 「くだもの」
序ぼくは農学校の三年生になったときから今日まで三年の間のぼくの日誌を公開する。どうせぼくは字も文章も下手だ。ぼくと同じように本気に仕事にかかった人でなかったらこんなもの実に厭な面白くもないものにちがいな・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・ 案内してくれる文化委員は、工場学校の方へ歩き出しながら話に告げた。「あの二人は模範的な母親たちですよ。お母さんの方は代議員だし、オーリャは党員候補です」 ソヴェト同盟の工場では五人に一人ぐらいの割合で婦人労働者の間から代議員と・・・ 宮本百合子 「明るい工場」
・・・姑く今数えた人の上だけを言って見ように、いずれも皆文を以て業として居る人々であって、僅に四迷が官吏になって居り、逍遥が学校の教員をして居る位が格外であった。独り予は医者で、しかも軍医である。そこで世間で我虚名を伝うると与に、門外の見は作と評・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・ また別の第三の偶然事、これは一番栖方らしく梶には興味があったが、――少年の日のこと、まだ栖方は小学校の生徒で、朝学校へ行く途中、その日は母が栖方と一緒であった。雪のふかく降りつもっている路を歩いているとき、一羽の小鳥が飛んで来て彼の周・・・ 横光利一 「微笑」
・・・元来スチルというものは学校の先生が言うように古えの芸術家から学ぶべきものではない。人間の奥底にひそんでいるのだ。自分の胸から掘り出すべきものだ。デュウゼはそれを知っていた。自分の芸によって観客の感激――有頂天、大歓喜、大酩酊――の起こってい・・・ 和辻哲郎 「エレオノラ・デュウゼ」
出典:青空文庫