・・・その上は客室で、川に面した窓側で、若い男女が料理をつついています。話し合っているのでしょうが、声が聴えないので、だんまりの芝居のようです。隣の家は歯医者らしく、二階の部屋で白い診療衣を着た医者が黙々と立ち働いているのが見えました。治療しても・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・沈没シタ汽船ノ客室ノ、扉ヲアケタラ、五人ノ死人ガ、スット奥カラ出テ来タソウデス。ケレドモ、川ノ中ニイル水死人ハ、立ッタママ、男ハ、キマッテ、頭ヲマエニウナダレ、女ハ、コレモキマッテ、胸ヲ張リ、顔ヲ仰向ニシテ、底ノ砂利ニ、足ガ、カスカニ触レテ・・・ 太宰治 「創生記」
・・・宿で前に七面鳥を飼っていたが、無遠慮に客室へはいり込むのでよしたという。それにしても猫の少ないだけは確かである。ねずみが少ないためかもしれない。そうだとするとねずみの食うものが少ないせいかも知れない。つまり定住した人口が希薄なせいかもしれな・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
・・・ 私が初めて平円盤蓄音機に出会ったのは、瀬戸内海通いの汽船の客室であったように記憶する。その後大学生時代に神戸と郷里との間を往復する汽船の中でいつも粗悪な平円盤レコードの音に悩まされた印象がかなり強く残っている。船にいくじがなくて、胸に・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・ 七 最新の巨大な汽船の客室にはその設備に装飾にあらゆる善美を尽くしたものがあるらしい。外国の絵入り雑誌などによくそれの三色写真などがある。そういう写真をよくよく見ていると、美しいには実に美しいが、何かしら一つ肝・・・ 寺田寅彦 「破片」
・・・四五人で食事をしたあと、客室でのんきにおもしろく話をしていると、突然頭の上でギアーギアーギアーギアーと四つ続けて妙な声がした。ちょうど鶏の咽喉でもしめられているかというような不愉快な声がした。それから同じ声で何かしら続けて物を言っているよう・・・ 寺田寅彦 「路傍の草」
・・・ 光線のろくに入らない台所でゴトゴトと料理して居た料理人は朱塗の膳に口取りと酢のものと汁をのせて客室に運んだ。酢のものは?あとで口取とのせかえるで―― こんな事を平気で云った。 酒の膳に口取をつける事から妙なのに・・・ 宮本百合子 「旅へ出て」
・・・ 傍の客室に案内された。手套をとり乍ら室内を見廻し、私はひとりでに一種の微笑が湧くのを感じた。長崎とは、まあ何と古風な開化の町! フレンチ・ドアを背にして置かれた長椅子は、鄙びた紅天鵝絨張り、よく涙香訳何々奇談などと云った小説の插画にあ・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・ 玄関わきの客室に、知人一家は暮している。ひろ子は、そこへ行って、「昨晩はありがとうございました」と云った。「あんなにしてわざわざ来て頂いたりしたときには来なくて、わたしが待ちくたびれて腰ぬけになったら、かえって。――石田で・・・ 宮本百合子 「風知草」
出典:青空文庫