・・・〔『日本』明治三十二年三月二十八日〕 歌想に主観的なるものと客観的なるものとあり。『万葉』は主として主観的歌想を述べたるものにして客観的歌想は極めて少かりしが、『古今』以後、客観的歌想の歌、次第にその数を増加するの傾向を見る。 ・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・一は主観的の感じで、一は客観的の感じである。そんな言葉ではよくわかるまいが、死を主観的に感ずるというのは、自分が今死ぬる様に感じるので、甚だ恐ろしい感じである。動気が躍って精神が不安を感じて非常に煩悶するのである。これは病人が病気に故障があ・・・ 正岡子規 「死後」
・・・元来私どもの感情はそう無茶苦茶に間違っているものではないのでありましてどうしても本心から起って来る心持は全く客観的に見てその通りなのであります。動物は全く可哀そうなもんです。人もほんとうに哀れなものです。私は全論士にも少し深く上調子でなしに・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・戦争は、客観的な真実に対して素直である人間の理性をうちこわした。そしてわたしたちは長い間、客観的な文芸評論というものを持たされなかった。きょう、またおどろくような迅さで、日本の人民生活と文化とが高波にさらされようとしているとき、文学を文学と・・・ 宮本百合子 「巖の花」
・・・山本氏が持っているものは、どちらかと云えば政治家風な通であって、新しい内容での客観的知識、科学的知識ではない。それでも、まだ素朴な感傷でだけ結果的にそれにふれている尾崎氏よりは山本氏の記述の方が事件の背後の錯綜にふれ得ているのである。 ・・・ 宮本百合子 「明日の言葉」
・・・ この無頓着な人と、道を求める人との中間に、道というものの存在を客観的に認めていて、それに対して全く無頓着だというわけでもなく、さればと言ってみずから進んで道を求めるでもなく、自分をば道に疎遠な人だと諦念め、別に道に親密な人がいるように・・・ 森鴎外 「寒山拾得」
・・・という標題の記事は、かなり客観的に書いたものであった。 * * * パアシイ族の少壮者は外国語を教えられているので、段々西洋の書物を読むようになった。英語が最も広く行われている・・・ 森鴎外 「沈黙の塔」
・・・何ぜならこれは、今迄用い適用されていた感覚が、その触発対象を客観的形式からより主観的形式へと変更させて来たからに他ならない。だが、そこに横たわった変化について、理論的形式をとってより明確な妥当性を与えなければならないとなると、これは少なから・・・ 横光利一 「新感覚論」
・・・ここでは街々の客観物は彼の二つの視野の中で競争した。 北方の高台には広々とした貴族の邸宅が並んでいた。そこでは最も風と光りが自由に出入を赦された。時には顕官や淑女がその邸宅の石門に与える自身の重力を考えながら自働車を駈け込ませた。時には・・・ 横光利一 「街の底」
・・・いわば自己を客観化して感じているのであって、対手はただ、その自己客観化を触発するにとどまるのである。――すなわち我々はある外形を見た時に、その外形の意味として我々自身の感情を感じている。そうしてそれをその対象の認識と呼んでいる。 そこで・・・ 和辻哲郎 「「自然」を深めよ」
出典:青空文庫