・・・民主主義文学運動がはじまってから蔵原惟人、小林多喜二、宮本顕治にふれて、当時の検事局的に歪曲された「政治的偏向」批判をそのままくりかえし、これらの人々の活動の積極面――プロレタリア文学運動の成果の抹殺が試みられた。それは、客観的には、非民主・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」
・・・一九三八年一月から翌る年のなかごろまで、作家では中野重治と宮本百合子が作品発表を禁じられたからであった。 また一九四一年にはいってからは、ほんの断片的な執筆しかなくて、それも前半期以後は全く途絶えてしまっているのは、一九四一年の一月から・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十一巻)」
・・・その十三日前、宮本がスパイの手を通じて検挙された。ひどい拷問にあっていることがわかった。妻には着物のさし入れさえさせなかった。正月二日に山口県の田舎へ行って、宮本の母を東京につれて来て、面会を要求し、やっと生きている姿をたしかめた。以来十二・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第四巻)」
・・・「感想って……。私はこれから、稲子さんのところへ行くんだけれども……」「へえ」 ひどく案外らしく、「知らないんですか」といわれた。「執筆禁止ですよ」「誰が?」「宮本百合子、中野重治それから――」何人かの姓名が・・・ 宮本百合子 「ある回想から」
・・・で公然と文筆活動をしていた小林多喜二、宮本顕治その他の人々が、一九三二年三月以後はこれまでの活動の形をかえて、地下的に生活し働かなければならないようになった。わたしも一九三二年四月七日に検挙されて六月十八日ごろまで、警察にとめられていた。小・・・ 宮本百合子 「解説(『風知草』)」
・・・ 私は宮本顕治と結婚して一ヵ月半ばかりで捕えられ、今宮本は敵の妨害によってどこにいるか私は知ることが出来ない。しかし、彼は彼の部署を守り立派に為すべきことをしていると信じています。私はプロレタリア婦人作家とし、彼の妻とし、革命的な働く婦・・・ 宮本百合子 「逆襲をもって私は戦います」
・・・呶鳴りながら、野蛮な顔の相好を二目と見られぬ有様に引歪め、「貴様、宮本からもらって読んでるじゃないかッ」 ドズン! 何というこれは愚かな嘘であろう。「知らない、そんなもの」「知らないィ?」「知らない」「人をォ……・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・[自注3]心苦しく思います――一年二ヵ月ぶりに面会して、宮本への差入れ状態が非常にわるかったことがわかった。一月三十日に中條の父が死去したとき、顕治は弔電をうつ金さえもっていなかった。百合子が市ヶ谷の女囚の面会所で家のものに会うたびに、・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
十二月八日 〔牛込区富久町一一二市ヶ谷刑務所の宮本顕治宛 淀橋区上落合二ノ七四〇より〕 第一信。 [自注1] これは何と不思議な心持でしょう。ずっと前から手紙をかくときのことをいろいろ考えていたのに、いざ書くと・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・福田恆存は、宮本百合子の文学を早く卒業してしまうように、と忠告していたのだった。一つの社会が、ある文学を卒業するという場合、それは、どういう状態をさすのだろう。ある読者の人生経験の角度が、ある作家の人生と文学の角度とくいちがって来て、そこに・・・ 宮本百合子 「心に疼く欲求がある」
出典:青空文庫