・・・――と云うと多少気が利いていますが、家賃は案外安いのですよ。 主筆 そう云う説明は入らないでしょう。少くとも小説の本文には。 保吉 いや、必要ですよ。若い外交官の月給などは高の知れたものですからね。 主筆 じゃ華族の息子におしな・・・ 芥川竜之介 「或恋愛小説」
・・・見ると石の門があって、中に大きな松の木があって、赤木には少し勿体ないような家だから、おい家賃はいくらすると訊いて見たが、なに存外安いよとか何とか、大に金のありそうな事を云ってすましている。それから、籐椅子に尻を据えて、勝手な気焔をあげている・・・ 芥川竜之介 「田端日記」
・・・友人の今の身分から見ると、家賃がいらないだけに、どこか楽に見えるところもあった。夫婦に子供二人の活しだ。「あす君は帰るんや。なア、僕は役場の書記でくたばるんや。もう一遍君等と一緒に寄宿舎の飯を喰た時代に返りたい」と、友人は寝巻に着かえな・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・たとえば、失業者及びこれと近い生活をする者をして、日常の必要品たる、家賃を始め、ガス、水道、電気等の料金に至る迄、極めて規則的に強要しつつあるのは、解釈によっては、暴力の行使という他はありません。 さらに、インフレーションにより、当然招・・・ 小川未明 「近頃感じたこと」
・・・という甘い文句の見出しで、店舗の家賃、電灯・水道代は本舗より支弁し、薬は委託でいくらでも送る。しかも、すべて卓効疑いのない請合薬で、卸値は四掛けゆえ十円売って六円の儲けがある。なお、売れても売れなくても、必ず四十円の固定給は支給する云々の条・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・二晩分の飾窓の家賃を先払いして置いたのがせめてもの慰めであった。隣の飾窓で蝨をつぶしている音を聴きながら、その夜を明かすと、もう暮の二十八日、闇市の雑閙は急に増えて師走めいた慌しさであった。被っていた帽子を脱いで、五円々々。やっと売れたが、・・・ 織田作之助 「世相」
・・・が、今はそんな心配どころかと顔を真蒼にしてきけば、五十吉のあとを追うて大阪へ下った椙は、やがて五十吉の子を生んだが、もうそのころは長町の貧乏長屋の家賃も払えなかった。いたし方なく五十吉は寄席で蝋燭の芯切りをし、椙はお茶子に雇われたが、足手ま・・・ 織田作之助 「螢」
・・・河童横町は昔河童が棲んでいたといわれ、忌われて二束三文だったそこの土地を材木屋の先代が買い取って、借家を建て、今はきびしく高い家賃も取るから金が出来て、河童は材木屋だと蔭口きかれていたが、妾が何人もいて若い生血を吸うからという意味もあるらし・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・先方だって、まさか、そんな乱暴なことしやしないだろうがね、それは元々の契約というものは、君が万一家賃を払えない場合には造作を取上げるとか家を釘附けにするとかいうことになって居るんではないのだからね、相当の手続を要することなんで、そんな無法な・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・「何しろ家賃が一カ月七十銭という家だからな、こんなもんだろう」と老父は言ったが、嫁や孫たちが可哀想だという口吻でもあった。「古いには古い家でごいす。俺が子供の時分の寺小屋だったでなあ。何度も建てなおされた家で、ここでは次男に鍛冶屋さ・・・ 葛西善蔵 「贋物」
出典:青空文庫