・・・という小品の描写に、時々はッと思うほどの、憎々しいくらいの容赦なき箇所の在ることは、慧眼の読者は、既にお気づきのことと思います。作者は疲れて、人生に対して、また現実のつつましい営みに対して、たしかに乱暴の感情表示をなして居るという事は、あな・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・汽船は、容赦なく進む。旅客は、ひっそりしている。私ひとりは、甲板で、うろうろしている。気が気でない。誰かに聞いてみようかと幾度となく思うのだが、若し之が佐渡ヶ島だった場合、佐渡行の汽船に乗り込んでいながら、「あれは何という島ですか。」という・・・ 太宰治 「佐渡」
・・・東京は、この二、三日ひどい風で、武蔵野のまん中にある私の家には、砂ほこりが、容赦無く舞い込み、私は家の中に在りながらも、まるで地べたに、あぐらをかいて坐っている気持でありました。きょうは、風もおさまり、まことに春らしく、静かに晴れて居ります・・・ 太宰治 「三月三十日」
・・・故なさいましたが、このお方のために私の或る詩集が、実に異様なくらい物凄い嘲罵を受け、私はしんそこから戦慄し、それからは、まったく一行の詩も書けなくなり、反駁したいにも、どうにも、その罵言は何の手加減も容赦も無く、私が小学校を卒業したばかりで・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・やっと現象の世界に眼のあきかけた若いものの頭に公式などは一切容赦してやらねばいけない。公式は、丁度世界歴史の年代の数字と同様に、彼等の物理学の中に潜む気味の悪い怖ろしい幽霊である。よく訳のわかった巧者な実験家の教師が得られるならば中頃の学級・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・従って画面には写っていない人間や発音体の音が容赦なく侵入してくる。しかしこの音響伝播の特性を利用することによって発声映画は異常な能力を発揮することができるのである。たとえば探偵が容疑犯罪者と話しているおりから隣室から土人の女の歌が聞こえて来・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・もっと聞きたいと思うところで容赦なく歌は終わってしまう。 「ハイデルベルヒの学生歌」でも窓下の学生のセレネードは別として、露台のビア・ガルテンでおおぜいの大学生の合唱があって、おなじみのエルゴ・ヴィヴァームスの歌とザラマンダ・ライベンの・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・いつまでも子猫であってほしいという子供らの願望を追い越して容赦もなく生長して行った。 三毛は神経が鋭敏であるだけにどこか気むずかしくてそしてわがままでぜいたくである。そしてすべての挙動にどことなく典雅のふうがある。おそらくあらゆる猫族の・・・ 寺田寅彦 「子猫」
・・・あまり凝りすぎてもからだにさわるから午前だけにしたいと思ったが、午前中に一段片付けたつもりで昼飯を食いながらながめていると間違った所が目について気になりだす、もう一筆と思ううちにとうとう午後の時間が容赦なくたってしまう。 それでも少しず・・・ 寺田寅彦 「自画像」
・・・床しからぬにもあらぬ昔の、今は忘るるをのみ心易しと念じたる矢先に、忽然と容赦もなく描き出されたるを堪えがたく思う。「安からぬ胸に、捨てて行ける人の帰るを待つと、凋れたる声にてわれに語る御身の声をきくまでは、天つ下れるマリヤのこの寺の神壇・・・ 夏目漱石 「薤露行」
出典:青空文庫