・・・しかし、急に思いたってきたので、通知もしなかったから、この小さな寂しい停車場に降りても、そこに、上野先生の姿が見いだし得ようはずがなかったのです。 手に、ケースを下げて、不案内の狭苦しい町の中へはいりました。道も、屋根も、一面雪におおわ・・・ 小川未明 「青い星の国へ」
・・・「私もね、これでも十二三のころまでは双親ともにいたもんだが、今は双親はおろか、家も生れ故郷も何にもねえ、ほんの独法師だ、考えてみりゃ寂しいわけなんさね。家といったってどうせ荒家で、二間かそこいらの薄暗い中に、お父もお母も小穢え恰好して燻・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・る料理店へ飯を食いに行くと、またそこの婢女が座蒲団を三人分持って来たので、おかしいとは思ったが、何しろ女房の手前もあることだから、そこはその儘冗談にまぎらして帰って来たが、その晩は少し遅くなったので、淋しい横町から、二人肩と肩と擦れ寄りなが・・・ 小山内薫 「因果」
・・・ 人影もないその淋しい一本道をすこし行くと、すぐ森の中だった。前方の白樺の木に裸電球がかかっている。にぶいその灯のまわりに、秋の夜明けの寂けさが、暈のように集っていた。しみじみと遠いながめだった。夜露にぬれた道ばたには、高原の秋の花が可・・・ 織田作之助 「秋の暈」
一 掃除をしたり、お菜を煮たり、糠味噌を出したりして、子供等に晩飯を済まさせ、彼はようやく西日の引いた縁側近くへお膳を据えて、淋しい気持で晩酌の盃を嘗めていた。すると御免とも云わずに表の格子戸をそうっと開け・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・其処で私が、何故そんな事を言うのか、斯うしてお母さんと二人で居ればよいではないか、と言っても彼は「いいえ、僕は淋しいのです。それでは氷山さんの伯母さんでも」と言ってききません。「伯母さんだって世帯人だもの、今頃は御飯時で忙しいだろうよ」と言・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・――賑かな、しかし寂しい一行は歩み出した。その時から十余年経った。 その五人の兄弟のなかの一人であった彼は再びその大都会へ出て来た。そこで彼は学狡へ通った。知らない町ばかりであった。碁会所。玉突屋。大弓所。珈琲店。下宿。彼はそのせせ・・・ 梶井基次郎 「過古」
・・・ かの字港に着くと、船頭がもう用意をして待っていた。寂しい小さな港の小さな波止場の内から船を出すとすぐ帆を張った、風の具合がいいので船は少し左舷に傾ぎながら心持ちよく馳った。 冬の寒い夜の暗い晩で、大空の星の数も読まるるばかりに鮮や・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
・・・いやされるということさえもかえって淋しいことなのだが、しかし一生ただ一回の失った恋の思い出だけに生きるということは、人間の浪曼性くらいではまずないことだ。 摂理は別の恋愛を恵むものだ。そして今度は幸福にいく場合が多い。恋を失っても絶望す・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・その羨しさをかくそうとすると、微笑が、張り合いのぬけた淋しいものになる。それが不愉快なほど自分によく分った。「なんか、ことづけはないかい?」「ないようだ。」「一と足さきに失敬できると思うたら、愉快でたまらんよ。」 そこにいる・・・ 黒島伝治 「氷河」
出典:青空文庫