・・・○僕の国に坊主町という淋しい町があってそこに浅井先生という漢学の先生があった。その先生の処へ本読みに行く一人の子供の十余りなるがあったが、いつでもその家を出がけにそこの中庭へ庭一ぱいの大きな裸男を画いて置くのが常であった。それとも知・・・ 正岡子規 「画」
・・・ ずいぶん美しいこともあるし淋しいこともある。雲なんかほんとうに奇麗なことがあるよ。」「赤くてが。」耕一がたずねました。「いいや、赤くはないよ。雲の赤くなるのは戻りさ。南極か北極へ向いて上の方をどんどん行くときは雲なんか赤かぁな・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・ 惜しいと思う気持が段々妙に淋しい心になって来る。 細かい「ふけ」が浮いた抜毛のかたまりが古新聞の上にころがって、時々吹く風に一二本の毛が上の方へ踊り上ったり靡いたりして居る様子はこの上なくわびしい。 此頃は只クルクルとまるめて・・・ 宮本百合子 「秋毛」
・・・弥一右衛門は以前から人に用事のほかの話をしかけられたことは少かったが、五月七日からこっちは、御殿の詰所に出ていてみても、一層寂しい。それに相役が自分の顔を見ぬようにして見るのがわかる。そっと横から見たり、背後から見たりするのがわかる。不快で・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・秋の山里とてその通り、宵ながら凄いほどに淋しい。衣服を剥がれたので痩肱に瘤を立てている柿の梢には冷笑い顔の月が掛かり、青白く冴えわたッた地面には小枝の影が破隙を作る。はるかに狼が凄味の遠吠えを打ち込むと谷間の山彦がすかさずそれを送り返し,望・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・ 夕食の時、己がおばさんに、あのエルリングのような男を、冬の七ヶ月間、こんな寂しい家に置くのは、残酷ではないかと云って見た。 おばさんは意味ありげな微笑をした。そして云うには、ことしの五月一日に、エルリングは町に手紙をよこして、もう・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・丁度しわすのもの淋しい夜の事でしたが、吹すさぶその晩の山おろしの唸るような凄い音は、今に思出されます。折ふし徳蔵おじは椽先で、霜に白んだ樅の木の上に、大きな星が二つ三つ光っている寒空をながめて、いつもになく、ひどく心配そうな、いかにも沈んだ・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
・・・この足の天才はただ一人寂しい道を歩ませておけばよい。デュウゼは足で画くラファエロである。 露都の一夜、なつかしきエレオノラのために狂舞したヘルマン・バアルはかくして世評に対する彼の論理的欲望を充たした。 やがてデュウゼの一身には・・・ 和辻哲郎 「エレオノラ・デュウゼ」
出典:青空文庫