・・・ 恥を知らない太陽の光は、再び薔薇に返って来た真昼の寂寞を切り開いて、この殺戮と掠奪とに勝ち誇っている蜘蛛の姿を照らした。灰色の繻子に酷似した腹、黒い南京玉を想わせる眼、それから癩を病んだような、醜い節々の硬まった脚、――蜘蛛はほとんど・・・ 芥川竜之介 「女」
・・・ 更紗の窓掛けを垂れた部屋の内には、不相変残暑の寂寞が、息苦しいくらい支配していた。その寂寞を破るものは、ニスのにおいのする戸の向うから、時々ここへ聞えて来る、かすかなタイプライタアの音だけであった。 書類が一山片づいた後、陳はふと・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・海は――目の前に開いている海も、さながら白昼の寂寞に聞き入ってでもいるかのごとく、雲母よりもまぶしい水面を凝然と平に張りつめている。樗牛の吐息はこんな瞬間に、はじめて彼の胸からあふれて出た。――自分はこういう樗牛を想像しながら、長い秋の夜を・・・ 芥川竜之介 「樗牛の事」
・・・荒廃と寂寞――どうしても元始的な、人をひざまずかせなければやまないような強い力がこの両側の山と、その間にはさまれた谷との上に動いているような気がする。案内者が「赤沢の小屋ってなアあれですあ」と言う。自分たちの立っている所より少し低い所にくく・・・ 芥川竜之介 「槍が岳に登った記」
・・・そしてその後は寂寞としている。 気の狂うような驚怖と、あらあらしい好奇心とに促されて、フレンチは目を大きく開いた。 寂しく、広間の真中に、革紐で縛られた白い姿を載せている、怪しい椅子がある。 フレンチにはすぐに分かった。この丸で・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・それにも、人の往来の疎なのが知れて、隈なき日当りが寂寞して、薄甘く暖い。 怪しき臭気、得ならぬものを蔽うた、藁も蓆も、早や路傍に露骨ながら、そこには菫の濃いのが咲いて、淡いのが草まじりに、はらはらと数に乱れる。 馬の沓形の畠やや中窪・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ お君の寂しく莞爾した時、寂寞とした位牌堂の中で、カタリと音。 目を上げて見ると、見渡す限り、山はその戸帳のような色になった。が、やや艶やかに見えたのは雨が晴れた薄月の影である。 遠くで梟が啼いた。 謙造は、その声に、額堂の・・・ 泉鏡花 「縁結び」
・・・渠らのある者は沈痛に、ある者は憂慮わしげに、はたある者はあわただしげに、いずれも顔色穏やかならで、忙しげなる小刻みの靴の音、草履の響き、一種寂寞たる病院の高き天井と、広き建具と、長き廊下との間にて、異様の跫音を響かしつつ、うたた陰惨の趣をな・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・里も若葉も総てがぼんやり色をぼかし、冷ややかな湖面は寂寞として夜を待つさまである。「おとよさん面白かったねい、こんなふうな心持ちで遊んだのは、ほんとに久しぶりだ」「ほんとに省さんわたしもそうだわ、今夜はなんだか、世間が広くなったよう・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・アレだけの長い閲歴と、相当の識見を擁しながら次第に政友と離れて孤立し、頼みになる腹心も門下生もなく、末路寂寞として僅に廓清会長として最後の幕を閉じたのは啻に清廉や狷介が累いしたばかりでもなかったろう。四 沼南は廃娼を最後の使・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
出典:青空文庫