・・・が、議論はともあれ、初めは微酔気味であったのが段々真剣になって低い沈んだ調子でポツリポツリと話すのが淋しい秋の寂寞に浸み入るような気がして、内心承服出来ない言葉の一つ一つをシンミリと味わせられた。「その女をどうしようッてのだい?」「・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・蔦が厚く扉をつつんだ開かずの門のくぐりから、寂寞とした境内にはいって玄関の前に目をつぶって突立った。物音一つ聴えなかった。暗い敷台の上には老師の帰りを待っているかのように革のスリッパが内へ向けて揃えられてあり、下駄箱の上には下駄が載って、白・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・ 翁のゆきし後、火は紅の光を放ちて、寂寞たる夜の闇のうちにおぼつかなく燃えたり。夜更け、潮みち、童らが焼し火も旅の翁が足跡も永久の波に消されぬ。 国木田独歩 「たき火」
・・・ 一度通読しては二度と手にとらぬ書物のみ書庫にみつることは寂寞である。 自分の職能の専門のための読書以外においては、「物識り」にならんがために濫読することは無用のことである。識見は博きにこしたことはないが、そのためにしみじみと心して・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・であって、短い時間では有ったが、非常に長い時間のように思われて、女は其の無言無物の寂寞の苦に、十万億土を通るというのは斯様いうものででもあるかと苦んでいたので、今、「コレ」と云われると、それが厳しい叱咤であろうと何であろうと、活路を死中・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・日がな一日寂寞に閉ざされる思いをして部屋の黄色い壁も慰みの一つにながめ暮らすようなことは、私に取ってきょうに始まったことでもない。母親のない幼い子供らをひかえるようになってから、三年もたつうちに、私はすでに同じ思いに行き詰まってしまった。し・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・不思議な寂寞は蛙の鳴く谷底の方から匍い上って来た。恐しく成って、逃げるように高瀬は妻子の方へ引返して行った。「父さん」 と呼ぶ子供を見つけて、高瀬は自分の家の前の垣根のあたりで鞠子と一緒に成った。「鞠ちゃん、吾家へ行こう」・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・盆踊りを見ての帰りに池面のやみをすかして見るとこの干潟の上に寂寞とうずくまっていることもあり、何かしら落ち着かぬように首を動かしていることもあった。 このあひるが自身たちの室の前の道路に上がっているときに、パンやまんじゅうの皮の切れはし・・・ 寺田寅彦 「沓掛より」
・・・汽笛の吼ゆるごとき叫ぶがごとき深夜の寂寞と云う事知らぬ港ながら帆柱にゆらぐ星の光はさすがに静かなり。革鞄と毛布と蝙蝠傘とを両手一ぱいにかかえて狭き梯子を上って甲板に上がれば既に船は桟橋へ着きていたり。苅谷氏に昨夕の礼をのべて船を下り安松へ上・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・夜明け前の寂寞を破るあの不思議な音と同じものだとはどうしても思われない。 自分の病気と蒸気ストーブはなんの関係もないが、しかし自分の病気もなんだか同じような順序で前兆、破裂、静穏とこの三つの相を週期的に繰り返しているような気がする。少な・・・ 寺田寅彦 「病院の夜明けの物音」
出典:青空文庫