・・・床の間の、見事な石の置き物は、富士山の形であって、人は、ただ遠くから讃歎の声を掛けてくださるだけで、どうやら、これは、たべるものでも、触るものでもないようでございます。富士山の置き物は、ひとり、どんなに寒くて苦しいか、誰もごぞんじないのです・・・ 太宰治 「古典風」
・・・南アルプス連峰も、富士山も、何も見えない。朝露で、下駄がびしょぬれである。私はいっそうひどい猫背になって、のろのろ帰途についた。橋を渡り、中学校のまえまで来て、振り向くとポチが、ちゃんといた。面目なげに、首を垂れ、私の視線をそっとそらした。・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・もはや日没ちかく、残光を浴びて山の峯々が幽かに明るく、線の起伏も、こだわらずゆったり流れて、人生的にやさしく、富士山の、人も無げなる秀抜と較べて、相まさること数倍である、と笠井さんは考えた。二千八百九十九米。笠井さんはこのごろ、山の高さや、・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・「僕は富士山に登った時、朝日の昇るところを見ました。」ひとりの生徒が答えました。「その時、どうだったね。やっぱり、こんなに大きかったかね。こんな工合いに、ぶるぶる煮えたぎって、血のような感じがあったかね。」「いいえ、どこか違うよ・・・ 太宰治 「みみずく通信」
・・・て徴用令をいただけるの、遠い所へ行きたいな、うそ、あんまり遠くだと、兄ちゃんと逢えないから、つまらない、あたし夢を見たの、兄ちゃんが、とっても派手な絣の着物を着て、そうして死ぬんだってあたしに言って、富士山の絵を何枚も何枚も書くのよ、それが・・・ 太宰治 「律子と貞子」
・・・その話によると、K先生は教場の黒板へ粗末な富士山の絵を描いて、その麓に一匹の亀を這わせ、そうして富士の頂上の少し下の方に一羽の鶴をかきそえた。それから、富士の頂近く水平に一線を劃しておいて、さてこういう説明をしたそうである。「孔子の教えでは・・・ 寺田寅彦 「変った話」
・・・従来用い古した解析的方法に容易にかかるような現象はだれも彼も手をつけて研究するが、従来の方法だけでは手におえないような現象はたとえ眼前に富士山のようにそびえていてもいっさい見て見ぬふりをしているという傾向がたしかにあるのである。しかし、だれ・・・ 寺田寅彦 「ジャーナリズム雑感」
・・・左にエトナが見える。富士山によく似ているという人もあったが、自分の感じはまるでちがっていた。右舷の山には樹木は少ないが、灰白色の山骨は美しい浅緑の草だか灌木だかでおおわれている。海浜にはまっ白な小さい家がまばらに散らばっている。だれかの漁村・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・何と云ってもいちばん多くの独創的な点をもっているのはいちばん小さい冬子の自由画であったが、その面白い点が一度認められ賞められるとそれがもう十八番になって、例えば富士山が出だすとそれがいかなる絵にでも必ず現われるのであった。今度は趣向を変えて・・・ 寺田寅彦 「小さな出来事」
・・・ 富士山の見える日本橋に「魚河岸」があって、その南と北に「丸善」と「三越」が相対しているのはなんだかおもしろい事のように思われる。丸善が精神の衣食住を供給しているならば三越や魚河岸は肉体の丸善であると言ってもいいわけである。 三越の・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
出典:青空文庫