・・・ 前線から帰ってくる将校斥候はロシヤ人や、ロシアの大砲を見てきたような話をした。「本当かしら?」 和田達多くの者は、麻酔にかかったように、半信半疑になった。「ロシヤが、武器を供給したんだって? 黒龍江軍が抛って逃げた銃を見て・・・ 黒島伝治 「チチハルまで」
・・・ 大隊長とその附近にいた将校達は、丘の上に立ちながら、カーキ色の軍服を着け、同じ色の軍帽をかむった兵士の一団と、垢に黒くなった百姓服を着け、縁のない頭巾をかむった男や、薄いキャラコの平常着を纏った女や、短衣をつけた子供、無帽の老人の・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・もう一枚のマントはプリンス・オヴ・ウエルスの、海軍将校としてのあの御姿を美しいと思って、あれをお手本にして造らせました。ところどころに少年の独創も加味されていました。第一に、襟です。大きい広い襟でした。どういうわけか広い襟を好んだようです。・・・ 太宰治 「おしゃれ童子」
・・・二月の事件の日、女の寝巻について語っていたと小説にかかれているけれども、青年将校たちと同じような壮烈なものを、そういう筆者自身へ感じられてならない。それは、うらやましさよりも、いたましさに胸がつまる。僕は、何ごとも、どっちつかずにして来て、・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ のちに到り、所謂青年将校と組んで、イヤな、無教養の、不吉な、変態革命を兇暴に遂行した人の中に、あのひとも混っていたような気がしてならぬ。 同志たちは次々と投獄せられた。ほとんど全部、投獄せられた。 中国を相手の戦争は継続してい・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・お母さんによろしく、と簡単な通知である。将校さんだって、そんなに素晴らしい生活内容などは、期待できないけれど、でも、毎日毎日、厳酷に無駄なく起居するその規律がうらやましい。いつも身が、ちゃんちゃんと決っているのだから、気持の上から楽なことだ・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・県出身の若き将校らの悲壮な戦死を描いた平凡な石版画の写真でも中学生のわれわれの柔らかい頭を刺激し興奮させるには充分であった。そしてそれらの勇士を弔う唱歌の女学校生徒の合唱などがいっそう若い頭を感傷的にしたものである。一つは観客席が暗がりであ・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・その頃始めて国の聨隊が出来て、兵隊や将校の姿が物珍しく、剣や勲章の目につくうちは好かったが、だんだん厭な事が子供の目に見えて来た。日曜に村の煮売屋などの二階から、大勢兵隊が赤い顔を出して、近辺の娘でも下を通りかかると、好的好的などと冷かした・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
・・・ 世田が谷近くで将校が二人乗った。大尉のほうが少佐に対して無雑作な言語使いでしきりに話しかけていた。少佐は多く黙っていた。その少佐の胸のボタンが一つはとれて一つはとれかかっているのが始終私の気にかかった。 同乗の小学生を注意して見る・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・pfel Suchen im Wasser というのは、水おけに浮いているりんごを口でくわえる芸当、Wurst Schnappen は頭上につるした腸詰めへ飛び上がり飛び上がりして食いつく遊戯である。将校が一々号令をかけているのが滑稽の感を・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
出典:青空文庫