・・・齢は五十を超えたるなるべけれど矍鑠としてほとんと伏波将軍の気概あり、これより千島に行かんとなり。 五日、いったん湯の川に帰り、引かえしてまた函館に至り仮寓を定めぬ。 六日、無事。 七日、静坐読書。 八日、おなじく。 九日・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・しかし馬琴は心中に将軍政治を悦んでは居りませんでした。誰が馬琴の『侠客伝』などを当時の実社会の反映だとはいい得ましょう? 馬琴以外の作者は実に時代と並行線を描いて居ましたが、馬琴は実に時代と直角的に交叉して居たのであります。時代の流れと共に・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・次第に財産も殖え、体重も以前の倍ちかくなって、町内の人たちの尊敬も集り、知事、政治家、将軍とも互角の交際をして、六十八歳で大往生いたしました。その葬儀の華やかさは、五年のちまで町内の人たちの語り草になりました。再び、妻はめとらなかったのであ・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・ペテロやヨハネやバルトロマイ、そのほか全部の弟子共は、ばかなやつ、すでに天国を目のまえに見たかのように、まるで凱旋の将軍につき従っているかのように、有頂天の歓喜で互いに抱き合い、涙に濡れた接吻を交し、一徹者のペテロなど、ヨハネを抱きかかえた・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・故長岡将軍くらいの程度ならばこういう認識不足はないであろうが。 知人の家の結婚披露の宴に出席する。宅へ帰って「お嫁さんはきれいなかたでしたか」と聞かれれば「きれいだったよ」と答える。およそ、きれいでない新婦などは有り得ないのである。しか・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
・・・それと同時に、いつかスイスで某将軍の銅像を真赤に塗りつぶして捕えられ罰金を課せられた英国の学生の話を想い出した。……しかしこれは帝展とは何の関係もない事である。 これで筆を擱こうと思ってふと縁先の硝子障子から外を見ると、少しもう色付きか・・・ 寺田寅彦 「帝展を見ざるの記」
・・・ 翌日自分は昨夜降りた三門前で再び電車を乗りすて、先ず順次に一番端れなる七代将軍の霊廟から、中央にある六代将軍、最後に増上寺を隔てて東照宮に隣りする二代将軍の霊廟を参拝したのである。この事は巳に『冷笑』と題する小説中紅雨という人物を借り・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・ その日の夕暮に一城の大衆が、無下に天井の高い食堂に会して晩餐の卓に就いた時、戦の時期は愈狼将軍の口から発布された。彼は先ず夜鴉の城主の武士道に背ける罪を数えて一門の面目を保つ為めに七日の夜を期して、一挙にその城を屠れと叫んだ。その声は・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・徳川家が将軍に成った末で余り勢いは強くなかったけれども、とにかく将軍というものが政権を持っておってその上に天子様がおられるという。これは一般の法則でないという処から、習慣的に続いて来た幕府というものを引っ繰り返したというのは、その引っ繰り返・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・の句ありていよいよ乃木将軍の人格が仰がれるのである。 とにかく余は今度我子の果敢なき死ということによりて、多大の教訓を得た。名利を思うて煩悶絶間なき心の上に、一杓の冷水を浴びせかけられたような心持がして、一種の涼味を感ずると共に、心の奥・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
出典:青空文庫