・・・そう言えば今年の秋も、もういつか小春になってしまった。 二 ちょうどそれと反対なのは、竜華寺にある樗牛の墓である。 始、竜華寺へ行ったのは中学の四年生の時だった。春の休暇のある日、確、静岡から久能山へ行って、・・・ 芥川竜之介 「樗牛の事」
・・・それから水々しく青葉に埋もれてゆく夏、東京あたりと変らない昼間の暑さ、眼を細めたい程涼しく暮れて行く夜、晴れ日の長い華やかな小春、樹は一つ/\に自分自身の色彩を以てその枝を装う小春。それは山といわず野といわず北国の天地を悲壮な熱情の舞台にす・・・ 有島武郎 「北海道に就いての印象」
・・・ 三 這奴、窓硝子の小春日の日向にしろじろと、光沢を漾わして、怪しく光って、ト構えた体が、何事をか企謀んでいそうで、その企謀の整うと同時に、驚破事を、仕出来しそうでならなかったのである。 持主の旅客は、ただ黙・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・勿論誰も手を触れず、いつ研いだ事もないのに、切味の鋭さは、月の影に翔込む梟、小春日になく山鳩は構いない。いたずらものの野鼠は真二つになって落ち、ぬたくる蛇は寸断になって蠢くほどで、虫、獣も、今は恐れて、床、天井を損わない。 人間なりとて・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・これにてらてらと小春の日の光を遮って、やや蔭になった頬骨のちっと出た、目の大きい、鼻の隆い、背のすっくりした、人品に威厳のある年齢三十ばかりなるが、引緊った口に葉巻を啣えたままで、今門を出て、刈取ったあとの蕎麦畠に面した。 この畠を前に・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ 小春の麗な話がある。 御前のお目にとまった、謡のままの山雀は、瓢箪を宿とする。こちとらの雀は、棟割長屋で、樋竹の相借家だ。 腹が空くと、電信の針がねに一座ずらりと出て、ぽちぽちぽちと中空高く順に並ぶ。中でも音頭取が、電柱の頂辺・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・見ると、やや立離れた――一段高く台を蹈んで立った――糶売の親仁は、この小春日の真中に、しかも夕月を肩に掛けた銅像に似ていた。「あの煙突が邪魔だな。」 ここを入って行きましょうと、同伴が言う、私設の市場の入口で、外套氏は振返って、その・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・ 実は小春日の明い街道から、衝と入ったのでは、人顔も容子も何も分らない。縁を広く、張出しを深く取った、古風で落着いただけに、十畳へ敷詰めた絨毯の模様も、谷へ落葉を積んだように見えて薄暗い。大きな床の間の三幅対も、濃い霧の中に、山が遥に、・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・二 昨日も今日も秋の日はよく晴れて、げに小春の天気、仕事するにも、散策を試みるにも、また書を読むにも申し分ない気候である。ウォーズウォルスのいわゆる『一年の熱去り、気は水のごとくに澄み、天は鏡のごとくに磨かれ、光と陰とい・・・ 国木田独歩 「小春」
上 秋は小春のころ、石井という老人が日比谷公園のベンチに腰をおろして休んでいる。老人とは言うものの、やっと六十歳で足腰も達者、至って壮健のほうである。 日はやや西に傾いて赤とんぼの羽がきらきらと光り・・・ 国木田独歩 「二老人」
出典:青空文庫