・・・それは小林秀雄が、わけの分らぬ言葉の手品をしていたり、妙な下らぬ小説や賞がはやって、常識がそれにプロテストするからなのだが。 そのプロテストが又いろいろの事情によって三四年前とは全く異り、手がこんでいてひねくれていて、はっきり自明なこと・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・それは従来のプロレタリア文化・文学運動は、その指導者であった蔵原惟人、小林多喜二、宮本顕治らの政治主義的偏向によって、文化活動から政治活動へ追いこまれ、創造力を枯渇させ云々という筋であった。 その後の十余年間に、文学に心をよせる人々が読・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
小林多喜二全集第一回配本を手にしたすべての人々が、まず感じたことは何だったろう。これで、いよいよ小林多喜二の全集も出はじめた。そのことにつよい感動があった。つづいて、小林多喜二全集の編輯は、実に周密、良心的に努力されていて・・・ 宮本百合子 「小林多喜二の今日における意義」
小林多喜二は、一九三三年二月二十日、築地警察で拷問された結果、内出血のために死んだ。 小林多喜二の文学者としての活動が、どんなに当時の人々から高く評価され、愛されていたかということは、殺された小林多喜二の遺骸が杉並にあ・・・ 宮本百合子 「今日の生命」
・・・種次、内藤長十郎元続、太田小十郎正信、原田十次郎之直、宗像加兵衛景定、同吉太夫景好、橋谷市蔵重次、井原十三郎吉正、田中意徳、本庄喜助重正、伊藤太左衛門方高、右田因幡統安、野田喜兵衛重綱、津崎五助長季、小林理右衛門行秀、林与左衛門正定、宮永勝・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・が岡茶寮のドイツ会に、洋行がえりの将校次をおうて身の上ばなしせしときのことなりしが、こよいはおん身が物語聞くべきはずなり、殿下も待ちかねておわすればとうながされて、まだ大尉になりてほどもあらじと見ゆる小林という少年士官、口にくわえし巻煙草取・・・ 森鴎外 「文づかい」
・・・ 私小説はそれを克服して後始めて本格小説となるという河上徹太郎、小林秀雄両氏などの説も今の作家にとっては何よりの警告であったと思うが、そのようになるための方法としてでも私は制作をするということが本業ではなく副業であると見る見方をとらねば・・・ 横光利一 「作家の生活」
・・・ 小林古径氏が『いでゆ』によって僕の問題に与える答案は、はるかに興味の多いものである。この画は場中最も色の薄いもので、この点では竜子氏の画と両極をなしているが、しかし日本画として新しい生面を開こうとしていることは、同一だと言ってよかろう・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
・・・ 例外の一は小林古径氏の『麦』である。氏は示唆的な日本画の手法をもって、麦の収穫に忙がしい農村の光景を写した。その結果が何であるとしても、とにかく氏の描くところには感情がこもっている。画面の上に芸当として並べられた線や色彩ではなくして、・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
・・・ 晩年の露伴先生に対しては、小林勇君が実によく面倒を見ていた。先生もおそらく後顧の憂いのない気持ちがしていられたことと思う。 小林君の話によると、先生は最後に呵々大笑せられたという。わたくしはそれが先生の一面をよく現わしていると思う・・・ 和辻哲郎 「露伴先生の思い出」
出典:青空文庫