・・・ 例の出来事を発明してからは、まだ少しも眠らなかったので、女はこれで安心して寝ようと思って、六連発の拳銃を抱いて、床の中へ這入った。 翌朝約束の停車場で、汽車から出て来たのは、二人の女の外には、百姓二人だけであった。停車場は寂しく、・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・お婆さんは、少しでもお金が儲かるなら、決していやな顔付をしませんでした。 お婆さんは、蝋燭の箱を出して女に見せました。その時、お婆さんはびっくりしました。女の長い黒い頭髪がびっしょりと水に濡れて月の光に輝いていたからであります。女は箱の・・・ 小川未明 「赤い蝋燭と人魚」
・・・秋ももう深けて、木葉もメッキリ黄ばんだ十月の末、二日路の山越えをして、そこの国外れの海に臨んだ古い港町に入った時には、私は少しばかりの旅費もすっかり払きつくしてしまった。町へ着くには着いても、今夜からもう宿を取るべき宿銭もない。いや、午飯を・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・と訊くから、何しろこんな、出水で到底渡れないから、こうして来たのだといいながら、ふと後を振返って見ると、出水どころか、道もからからに乾いて、橋の上も、平時と少しも変りがない、おやッ、こいつは一番やられたわいと、手にした折詰を見ると、こは如何・・・ 小山内薫 「今戸狐」
・・・ 男は分厚い唇にたまった泡を、素早く手の甲で拭きとった。少しよだれが落ちた。「なにが迷信や。迷信や思う方がどだい無智や。ちゃんと実例が証明してるやないか」 そして私の方に向って、「なあ、そうでっしゃろ。違いまっか。どない思い・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・今だって些ともこうしていたくはないけれど、こう草臥ては退くにも退かれぬ。少し休息したらまた旧処へ戻ろう。幸いと風を後にしているから、臭気は前方へ持って行こうというもの。 全然力が脱けて了った。太陽は手や顔へ照付ける。何か被りたくも被る物・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・彼は少し酒の気の廻っていた処なので、坐ったなり元気好く声をかけた。「否もうこゝで結構です。一寸そこまで散歩に来たものですからな。……それで何ですかな、家が定まりましたでしょうな? もう定まったでしょうな?」「……さあ、実は何です、そ・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・二十日ばかり心臓を冷やしている間、仕方が無い程気分の悪い日と、また少し気分のよい日もあって、それが次第に楽になり、もう冷やす必要も無いと言うまでになりました。そして、時には手紙の三四通も書く事があり、又肩の凝らぬ読物もして居りました。 ・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・しかしそれには少しもフレッシュなところがなかった。むしろ南京鼠の匂いでもしそうな汚いエキゾティシズムが感じられた。そしてそれはそのカフェがその近所に多く住んでいる下等な西洋人のよく出入りするという噂を、少し陰気に裏書きしていた。「おい。・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・それだっても、さんざん私をいやがらせておいて、と光代は美しき目に少し角を見せていう。おれが何をいやがらせるものか。お前が独りでいやがっているのだ。それはもう綱雄は実にこの上もない男さ。 また綱雄さんのことをおっしゃる。それはもう奥村さん・・・ 川上眉山 「書記官」
出典:青空文庫