・・・ 一九〇一年、スイス滞在五年の後にチューリヒの公民権を得てやっと公職に就く資格が出来た。同窓の友グロスマンの周旋で特許局の技師となって、そこに一九〇二年から一九〇九年まで勤めていた。彼のような抽象に長じた理論家が極めて卑近な発明の審査を・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・自由に達して始めて物の本末を認識し、第一義と第二義を判別し、末節を放棄して大義に就くを得るということを説いたのには第百十二段、第二百十一段などのようなものがある。反対にまた、心の自由を得ない人間の憐むべく笑うべくまた悲しむべき現象を記録した・・・ 寺田寅彦 「徒然草の鑑賞」
・・・とするところは正しく中津旧藩の格式りきみを制し、これを制了して共に与に日本社会の虚威を圧倒せんとするもののごとくにして、藩士のこの学校に帰すると否とはその自然に任したりしに、士族の上下に別なく漸く学に就く者多く、なかんずく上等士族の有力なる・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・世の士君子、あるいは官途に就く者あり、あるいは商売に従事する者あり、あるいは旅行するものあり、あるいは転宅するものあり。その際に当たり、何らの箇条を枚挙して進退を決するや。世間よく子を教うるの余暇を得んがためにとて、月給の高き官を辞したる者・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・ ゆえに今、文部省より定めたる小学校の学齢、六歳より十四歳まで八年の間とあれども、貧民は決してこの八年の間、学に就く者なし。最初より学校に入らざる者はしばらくさしおき、たとい一度入学するも、一年にしてやめにする者あり、二年にして廃学する・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・かかる大切の場合に臨んでは兵禍は恐るるに足らず、天下後世国を立てて外に交わらんとする者は、努ゆめゆめ吾維新の挙動を学んで権道に就くべからず、俗にいう武士の風上にも置かれぬとはすなわち吾一身の事なり、後世子孫これを再演するなかれとの意を示して・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・水の低きに就くがごとく停滞するところなし。恨むらくは彼は一篇の文章だも純粋の美文として見るべきものを作らざりき。 蕪村の俳句は今に残りしもの一千四百余首あり、千首の俳句を残したる俳人は四、五人を出でざるべし。蕪村は比較的多作の方なり。し・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・そうすると、そこへ一日の労働を了えて疲れて帰って来て、枕に就くというとかゆくて寝られない。そのうちに夜が明けて、眠り足りないで工場に出たから、工場で機械の中に捲込まれて悲劇が起る。これは労働者が自分達の生活の規律と、自身の安全のために清潔に・・・ 宮本百合子 「ソヴェト・ロシアの素顔」
・・・「斯くの如く一日は極めて速かに流れ、この精力的な労働者は僅かの安眠を貪るべく寝床に就くのである。」 ブランデスは、然し、この記述で計らず自身の道徳律の領域に描写を止めているのは面白いことである。バルザックの一日の内容にはもっともっと他の・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
出典:青空文庫