・・・ある時山奥のまた山奥から出て来た病人でどの医者にも診断のつかない不思議な難病の携帯者があった。横山先生のところへ連れて行くと、先生は一目見ただけで、これはじきに直る、毎日上白米を何合ずつ焚いて喰わせろと云った。その処方通りにしたら数日にして・・・ 寺田寅彦 「追憶の医師達」
・・・ 北の山奥から時々姿を現わして奇妙な物を売りありく老人がいた。少しびっこで恐ろしく背の高いやせこけた老翁であったが、破れ手ぬぐいで頬かぶりをした下からうすぎたない白髪がはみ出していたようである。着物は完全な襤褸でそれに荒繩の帯を締めてい・・・ 寺田寅彦 「物売りの声」
二人の若い紳士が、すっかりイギリスの兵隊のかたちをして、ぴかぴかする鉄砲をかついで、白熊のような犬を二疋つれて、だいぶ山奥の、木の葉のかさかさしたとこを、こんなことを云いながら、あるいておりました。「ぜんたい、ここらの・・・ 宮沢賢治 「注文の多い料理店」
・・・ 一九一七年以来、ソヴェト同盟の農村は、どんな山奥でも農村通信員というものを持っている。主として年長のピオニェールや、コムソモール、または党外の活動的な分子によって組織される農村通信員は、特におくれた文化の農村生活の中で実に多くの文化的・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・ スースー……スースー…… 王者になったような心持でいる六をのせて、綱はだんだん山奥へ入って行った。 景色は次第次第に珍しく、不思議になって来る…… 周囲はますます静かにひそやかになって来る…… 六は急に飛びたくなった。・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・例えば信州の山奥で繭安価のために貧窮し、組合の組織を求めるようになった一農夫を描くとする。われわれプロレタリア作家の眼が、ただその局部的現象だけを捕えたのでは足りない。言葉としてその小説の中に書かれないにしろ、プロレタリア作家は信州の繭安価・・・ 宮本百合子 「プロレタリア文学における国際的主題について」
・・・ 民子というプロレタリア文学の仕事をしている主婦のところへ、或る日突然信州の山奥の革命的伝統をもった村の大井とし子という娘から手紙が来る。その手紙は「あなたがこちらへお出下さいましてよりもはや一年が過ぎました。農村は不景気の風に吹きまく・・・ 宮本百合子 「村からの娘」
・・・暗かった、シベリアの山奥に新しい炭鉱区を開拓したのは、誰か、大衆のソヴェト権力だ。暗礁だらけのドネープル河を八一〇、〇〇〇馬力の世界最大の発電所と変えたのは誰だ、これもソヴェト同盟のプロレタリアと農民だ! 中国ソヴェト建設のために、射殺・・・ 宮本百合子 「ロシアの過去を物語る革命博物館を観る」
・・・の一言で聞き捨て、見捨て、さて陣鉦や太鼓に急き立てられて修羅の街へ出かければ、山奥の青苔が褥となッたり、河岸の小砂利が襖となッたり、その内に……敵が……そら、太鼓が……右左に大将の下知が……そこで命がなくなッて、跡は野原でこのありさまだ。死・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・に重きを置く、公爵家の若君は母堂を自動車に載せて上野に散策し、山奥の炭焼きは父の屍を葬らんがために盗みを働いた。いずれが孝子であるか、今の社会にはわからぬ。親の酒代のために節操を棄て霊を離るる女が孝子であるならば吾人はむしろ「孝」を呪う。・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫