やまもといそろく【山本五十六】
[1884〜1943]軍人。海軍大将・元帥。新潟の生まれ。海軍要職を歴任。昭和14年(1939)連合艦隊司令長官となり、太平洋戦争で真珠湾攻撃・ミッドウェー海戦などを指揮し、ソロモン諸島上空で戦死。 阿川弘之による伝記小説。昭和39年(1964)から昭和40年(1965)にかけて「文芸朝日」誌に連載。
やまもといちりき【山本一力】
[1948〜 ]小説家。高知の生まれ。本名、健一。数々の職業を経た後、50歳を目前にして作家生活に入る。巧みな話術を生かした味わい深い時代小説で人気を集める。「あかね空」で直木賞受賞。他に「大川わたり」「背負い富士」など。
やまもとえいいちろう【山本英一郎】
[1919〜2006]野球選手・審判。岡山の生まれ。慶大野球部、社会人野球の鐘紡で外野手として活躍。アマチュア野球の審判員を経て、日本社会人野球協会(日本野球連盟の前身)の会長を務める。全日本アマチュア野球連盟の設立に尽力し、野球のオリンピック参加など国際化にも貢献した。
やまもとかくたゆう【山本角太夫】
[?〜1700]江戸前期の古浄瑠璃の太夫。京都を中心に活躍。相模掾 (さがみのじょう) を受領、のち土佐掾と改めた。角太夫節の祖で、説経節系の哀愁のある曲を得意とした。
やまもとかけい【山本荷兮】
[1648〜1716]江戸前・中期の俳人・医師。名古屋の人。名は周知。芭蕉門下で、俳諧七部集のうち「冬の日」「春の日」「曠野 (あらの) 」を編む。のち蕉風を離れ、晩年は連歌に転じた。
やまもとかじろう【山本嘉次郎】
[1902〜1973]映画監督・脚本家。東京の生まれ。設立初期の東宝で活躍。作「エノケンのチャッキリ金太」「馬」「ハワイ・マレー沖海戦」など。
やまもとかなえ【山本鼎】
[1882〜1946]洋画家・版画家。愛知の生まれ。大正7年(1918)日本創作版画協会を結成し、創作版画の発展に尽力。また、児童のための自由画運動の推進、日本農民美術研究所の設立など、多方面で活躍。
やまもとかんすけ【山本勘助】
[?〜1561?]戦国時代の武将。道鬼斎と称した。「甲陽軍鑑」に、武田信玄の軍師として活躍、川中島の戦いで討ち死にしたと伝える。
やまもときゅうじん【山本丘人】
[1900〜1986]日本画家。東京の生まれ。本名、正義。松岡映丘に師事。力強い風景画を得意としたが、晩年は詩的叙情性も示した。文化勲章受章。
やまもとけんいち【山本兼一】
[1956〜2014]小説家。京都の生まれ。出版社勤務などを経て作家活動に入る。時代小説「利休にたずねよ」で直木賞受賞。他に「火天 (かてん) の城」「千両花嫁 とびきり屋見立て帖」など。