・・・そのまた小さい部屋の隅には黒いヴェヌスの像の下に山葡萄が一ふさ献じてあるのです。僕はなんの装飾もない僧房を想像していただけにちょっと意外に感じました。すると長老は僕の容子にこういう気もちを感じたとみえ、僕らに椅子を薦める前に半ば気の毒そうに・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・ここに林のごとく売るものは、黒く紫な山葡萄、黄と青の山茱萸を、蔓のまま、枝のまま、その甘渋くて、且つ酸き事、狸が咽せて、兎が酔いそうな珍味である。 このおなじ店が、筵三枚、三軒ぶり。笠被た女が二人並んで、片端に頬被りした馬士のような親仁・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・それでも遊びにほうけていると、清らかな、上品な、お神巫かと思う、色の白い、紅の袴のお嬢さんが、祭の露店に売っている……山葡萄の、黒いほどな紫の実を下すって――お帰んなさい、水で冷すのですよ。 ――で、駆戻ると、さきの親類では吃驚して、頭・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・黄櫨や山葡萄が紅葉しており、池には白い睡蓮が咲いている。駒ヶ岳は先年の噴火の時に浴びた灰と軽石で新しく化粧されて、触ったらまだ熱そうに見える。首のない大きなライオンが北向きに坐っているような姿をしている。肌の色もそんな色である。しかし北側へ・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
出典:青空文庫